| ■盛岡城の石垣 |
盛岡城の石垣は打ち込みハギ積式の石垣が主体を占めていますが,石と石の合端の状況から乱層積と整層積に分けられます。
長い年月の風雪に耐え美しく重厚なたたずまいを見せている石垣が次第に痛み,崩れる心配がでてきました。このため,石垣の詳しい調査を行い,石垣総面積約 1万平方メートルのうち,傷んでいる約 5千平方メートルを解体・復元する作業を1984年(昭和59年)から行っており,現在も事業が進められています。
盛岡城は「日本100名城」(財団法人日本城郭協会のページへリンクします。),「日本の歴史公園100選」(歴史公園ネットワーク研究会のページへリンクします。)に選定されています。 |
| ■ウメ林 |
| ブンゴウメ,シダレウメ,白梅など,約100本のウメが4月上旬まで咲きます。 |
| ■鶴ケ池・亀ケ池 |
盛岡城の内堀跡で中津川から水を引いています。桜山の鳥居を挟んで,西が「亀ケ池」,東が「鶴ケ池」と名付けられています。
5月には鶴ケ池の藤棚,7月になると池を取り囲むアジサイが満開になります。 |
| ■多目的広場 |
| もりおか環境緑化まつりやサツキ祭りなど,様々なイベントを行っている広場です。 |
| ■ビクトリアロード |
ユリノキの大木の並木と美しい中津川のせせらぎに包まれた小道。ビクトリア市と盛岡市の姉妹都市10周年を記念して名付けられました。 |
| ■ホタルの里 |
| 鶴が池から中津川に注ぎ込むせせらぎです。カエデ林に包まれたせせらぎは落ち着いた空間を形成しています。 |
| ■時鐘(日影門外時鐘) |
時鐘は,もともと外濠(現在の盛岡中央郵便局裏)の土手にあったものを,明治維新後に現在の位置に移したものです。
南部29代重信の時代に,その子行信の発願によって,1679年(延宝7年)に京都から釜師として迎えられた小泉五郎七清則の手によって鋳造されたものです。
1955年(昭和30年)頃まで約280年に渡って盛岡の人々に時刻を知らせ,生活の調べとして親しまれてきたものです。
1967年(昭和42年)6月24日に市の指定文化財になっています。 |
| ■桜林 |
ソメイヨシノ,サトザクラ,エドヒガンなど約200本の桜が4月下旬から5月上旬まで咲きます。 |
| ■バラ園 |
| 西洋庭園風に整備されたバラ園には数十種のバラが植栽されています。6月中旬頃から8月頃が見頃です。 |
| ■芝生広場 |
中津川よりに位置する芝生広場は,ヤマボウシやハマナスなどの様々な花の咲く樹に包まれた開放的な空間で,家族で憩える空間です。
宮沢賢治詩碑や,姉妹都市であるヴィクトリア市から贈られたトーテムポールがあります。 |
| ■花壇 |
県立図書館前の花壇。百種類を超える草花が一年を通して咲き誇ります。
毎日の維持管理がボランティアクラブ(園芸クラブみどりのページへリンクします)の手により行われています。 |
| ■彦御蔵(ひこおくら) |
城跡に残る唯一の蔵。内部を二つに仕切り,参勤交代の道具蔵として使用されていたと推測されています。
木造2階建の土蔵造りで,外壁は漆喰塗り仕上げ,屋根は野地板の上に土を塗り,その上に木造屋根組を行う二重構造で,以前は瓦葺きでした。出入口は両開きの漆喰戸で,その内側に片引板戸が2枚ついています。外側の板戸外面は漆喰塗り仕上げとなっています。
建築面積は180.25平方メートル(54.5坪)。 |
| ■四阿(あずまや) |
1906年(明治39年)に盛岡城跡公園が開園したとき,園内には8棟の四阿が建てられ,それぞれに景観や自然,情緒にちなんだ愛称が付けられました。このうち,当時の場所に現存するのは次の6棟です。
・夕陽亭(本丸西側)
・凌霊亭(天守閣跡)
・枕流亭(淡路丸下梅林)
・望岳亭(二ノ丸西側)
・双龍亭(公園広場)
・拾翠亭(三ノ丸南側)
次の2棟は,石垣修復工事や老朽化等により取り壊されました。
・観月亭(淡路丸大櫓跡)
・聚芳亭(バラ園内)
その後,二ノ丸東側と吹上門跡付近に各1基新設され,現在園内には計8棟の四阿があります。 |