庭園情報
現在の庭園の様子
現在の庭園の様子です。

(8月24日) |

(8月24日) |
庭園のうつりかわりと概要
- 第4代盛岡藩主・南部重信(しげのぶ)の治世の寛文9年(1669年)に城中で用いる薬草の栽培が始められ,「御薬園(おやくえん)」と呼ばれるようになりました。
- 7代藩主・利幹(としもと)治世の正徳5年(1715年)頃になって藩主の屋敷として整備され,次の利雄(としかつ)の治世には大規模な造園がなされました。この間に稲荷社のほか,御殿・茶室・能舞台が設けられ,京都からはカエデの移植をはじめとして奇石珍木(きせきちんぼく)が集められ,藩主の別邸地とされました。
- 安政元(1854)年から文久3(1863)年までの間には,屋敷地の一部を藩校・明義堂(めいぎどう)の医学・経学(きょうがく)の教場として使用し,藩士の文教の中心となりました。
- 明治元(1868)年,維新の変革により,間もなく屋敷は取り払われ,敷地内は田畑となり,荒廃しました。
- 明治41(1908)年,東京に本邸を構えていた南部家の別邸として生まれ変わり,庭園も整備されました。
- 昭和28(1953)年から「岩手県産業文化館」として整備され,昭和30(1955)年には盛岡市に移管,昭和33年(1958)年に盛岡市公民館の名称に改め,昭和55(1980)年には「中央公民館」として増改築されて,現在にいたります。
- 現在,庭園内には,第19代内閣総理大臣を務めた原敬(はらたかし)の別邸内にあった「田舎家」を移築した「白芳庵」があり,園内の趣を深めています。また,明治天皇が東北巡幸の際に宿泊所として利用した「聖風閣」や,盛岡出身の俳人・山口青邨(やまぐちせいそん)が幼少期を過ごした家屋が「愛宕亭」として復元されています。
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【文化9(1812)年頃の庭園の様子】
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【庭園の概要】
| 面積 |
公民館の敷地2万1348平方メートルのうち,庭園部分はおよそ約1万平方メートル |
| 庭園 |
座視鑑賞を重視した廻遊式庭園 |
| 池泉 |
面積5000平方メートル,深さ約0.6メートル,水量約3000立法メートル |
| 植栽,景物等 |
樹木-献木や皇族による植樹など,アカマツ・ヤマモミジ・サクラ・ツツジ・カエデ,アジサイ,シラカバほか
五重塔,春日燈籠,雪見燈籠は石巻から船で運ばれた安山岩製です。
石灯篭の笠石は,盛岡城三ノ丸から移設したと伝えられています。 |
聖風閣
聖風閣は「賜松園」(南大通一丁目)の一部であり,明治天皇行幸の際の「御成の間」を,昭和59(1984)年に中央公民館に移築(一部改築)したものです。
中央公民館の廻遊式庭園には,明治・大正期の皇太子殿下と宮家皇族のお手植えのナンブアカマツがあり,皇族三代の聖風を今に伝えていることから「聖風閣」と名づけられました。
愛宕亭
愛宕亭は,中央公民館南側の国道沿いに建てられてあったもので,俳人故山口青邨が幼少時代を過ごした旧居(青邨の伯父笹間忠一宅)です。昭和55(1980)年に中央公民館建設の際,現在の場所に復元され,「愛宕亭」と名づけられました。
白芳庵
白芳庵は大正7(1918)年に平民宰相原敬の別邸「介寿荘」通称「一山荘」(大通三丁目)内の四阿(あずまや)「田舎家」を,移設(一部改築)したもので,1959(昭和34)年10月に遺族原貢氏から盛岡市に寄贈されたものです。
白芳庵の名前の由来は,原敬の別邸にかけられていた額の一部「遠山芳草外」から「芳」を,原敬の美しかった「白髪」にちなんで「白」をとり,「白芳庵」と名づけられました。
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