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森口多里(本名:多利)は1892(明治25)年8月7日、水沢町大町(現:奥州市)にて金物商を営む父森口伊三郎、母カネヨの次男として生まれた。一関中学校(現:一関第一高等学校)をへて、1910(明治43)年、早稲田大学文学部予科に入学した。 在学中、恩師佐藤功一より美術品の調査を頼まれる。森口は日本画の大家や華族、財閥、旧家などを訪問、収蔵されていた名品を堪能する。その経験は彼の美術眼に影響を与えた。また、日夏耿之助の主宰する同人誌『假面』同人となり、文芸活動にもいそしんだ。 1914(大正3)年3月、早稲田大学文学部英文科を卒業し美術評論活動に入る。当時はヨーロッパ美術の需要期にあたり、専門の美術評論家は皆無に近い状態だった。森口は『ミレー評伝』の翻訳や『恐怖のムンク』などの著書で最新のヨーロッパ美術を紹介、パリ留学後には美術史学研究も手がけた。また、日本在来の美に対しても民俗学研究や民芸運動などの形で関わっており、その活動領域は非常に幅広かった。 戦中、黒沢尻町(現:北上市)に疎開した森口はそのまま郷里にとどまり、深沢省三や舟越保武らとともに岩手美術研究所を設立、後には県立岩手工芸美術学校の初代校長を務めた。また県文化財専門委員として民俗芸能や民俗資料の保存調査に尽力、その際収集した蔵書や研究資料は岩手県に寄贈され、県立博物館や県立図書館に収蔵されている。
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