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現在位置 : トップページ市政情報もりおかの緑市内の公園 › 盛岡城跡公園(岩手公園)


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盛岡城跡公園(岩手公園)

更新日 2013年7月5日

岩手公園の石垣の写真

  • 所在地:盛岡市内丸1番37号
  • 計画決定年月日:1956年(昭和31年)5月14日
  • 計画決定面積:9.9ヘクタール
  • 開設年月日:1956年(昭和31年)10月15日
  • 開設面積:9.2ヘクタール
  • 指定管理者:特定非営利活動法人 緑の相談室

あらまし

盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,1597年(慶長2年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌1598年(慶長3年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し,それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)(御城内(ごじょうない))としています。
さらに,内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀で囲み,南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。また,外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下を堀で囲み,武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とうくるわ)(総構(そうがま)え)が配置されています。
築城工事は,北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ,築城開始から36年後の1633年(寛永10年)に南部重直(しげなお)(3代藩主)が入城して以来,藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
盛岡城は,明治の廃藩置県の後1872年(明治5年)に陸軍省所管となり,1874年(明治7年)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され,城内は荒廃しました。
その後,1906年(明治39年)に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され,市民の憩いの場として親しまれています。
2006年(平成18年)には開園100周年を記念し,「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

盛岡城跡公園のあゆみ

盛岡城跡公園関連年表

年号
西暦
できごと
慶長2年
1597年
南部利直を総奉行とし,盛岡城築城の鋤(鍬)初めを行う。
慶長3年
1598年
盛岡城築城が豊臣秀吉より許可されたとされる。
寛永10年
1633年
南部重直盛岡城へ入城。(これより歴代藩主居城となる。)
慶応4年
1868年
戊辰戦争で盛岡藩降伏。
明治元年
1868年
盛岡城は新政府の直轄地となる。(10月に新政府軍入城)。
14代藩主南部利剛は退隠し,15台藩主南部利恭が白石へ転封される。
明治3年
1870年
盛岡藩を盛岡県とし,県庁を盛岡城二ノ丸に設置する。
明治4年
1871年
廃藩置県,内丸広小路に盛岡県庁がおかれる。(現岩手県庁)
明治5年
1872年
城域のすべてが陸軍省(兵部省明治5年2月廃止)東北鎮台の所管になる。
明治7年
1874年
岩手県により一般入札がおこなわれ,場内建物や樹木が払い下げられ,解体撤去される。
明治23年
1890年
南部氏が国から縁故払い下げを受ける。
明治39年 4月14日
1906年
荒廃していた盛岡城跡を,岩手県(北条元利知事)が公園として整備に着手。
明治39年 9月15日
1906年
岩手公園開園。
昭和9年12月 1日
1934年
岩手公園の管理が岩手県より盛岡市に移管。敷地の大部分を南部氏から購入する。
昭和12年4月12日
1937年
盛岡城跡が国指定史跡となる。
昭和31年5月14日
1956年
岩手公園として都市計画決定。
昭和31年10月15日
1956年
一般公園として開設。
昭和55年
1980年
総合公園として開設。
昭和59年
1984年
盛岡城跡保存整備事業として石垣解体修理と発掘調査に着手。
(注)現在は中断中
平成元年
1989年
日本の都市公園100選(公園緑地協会)。
平成18年4月6日
2006年
日本100名城(日本城郭協会)。
平成18年9月15日
2006年
愛称を『盛岡城跡公園』に決定。
平成18年10月27日
2006年
日本の歴史公園100選(都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会)

園内スポット

盛岡城の石垣

盛岡城の石垣は,全て城内とその周辺で産出した花崗岩によって築かれています。石垣は構築された時期などによって異なった積み方が見られ,自然石をそのまま積み上げる「野面積」,粗く割った石を積み上げる「乱積」,形を整えた石を積み上げる「布積」が見られます。
石垣は降水や樹木の根などの影響を受け,次第に傷みがみられ崩れる心配がでてきました。このため,石垣の詳しい調査を行い,石垣総面積約1万平方メートルのうち,傷んでいる約5000平方メートルを解体・復元する作業を1984年(昭和59年)から行っており,現在も断続的に事業が進められています。
盛岡城は「日本100名城」,「日本の歴史公園100選」に選定されています。

ウメ林

ブンゴウメ,シダレウメ,白梅など,約100本のウメが4月上旬まで咲きます。

鶴ケ池・亀ケ池

盛岡城の内堀跡で中津川から水を引いています。桜山の鳥居を挟んで,西が「亀ケ池」,東が「鶴ケ池」と名付けられています。
5月には鶴ケ池の藤棚,7月になると池を取り囲むアジサイが満開になります。

多目的広場

もりおか環境緑化まつりやサツキ祭りなど,さまざまなイベントを行っている広場です。

ビクトリアロード

岩手公園のビクトリアロードの写真

ユリノキの大木の並木と美しい中津川のせせらぎに包まれた小道。ビクトリア市と盛岡市の姉妹都市10周年を記念して名付けられました。

ホタルの里

鶴が池から中津川に注ぎ込むせせらぎです。カエデ林に包まれたせせらぎは落ち着いた空間を形成しています。

時鐘(日影門外時鐘)

この鐘はもともと日影門付近(現在の中央郵便局付近)の土塁上に存在したものですが,明治期に内丸の岩手郡役所敷地内に移設,その後さらに現在地に移設されたもので,昭和30年頃まで盛岡の人々に時刻を知らせていました。
この時鐘は,4代藩主南部重信のの時代に,その子行信の発願によって,1679年(延宝7年)に京都から釜師として迎えられた小泉五郎七清則の手によって鋳造されたものです。
1955年(昭和30年)ごろまで約280年に渡って盛岡の人々に時刻を知らせ,生活の調べとして親しまれてきたものです。
1967年(昭和42年)6月24日に市の指定文化財になっています。

桜林

岩手公園の桜の写真

ソメイヨシノ,サトザクラ,エドヒガンなど約200本の桜が4月下旬から5月上旬まで咲きます。

バラ園

西洋庭園風に整備されたバラ園には数十種のバラが植栽されています。6月中旬頃から8月頃が見頃です。

芝生広場

中津川よりに位置する芝生広場は,ヤマボウシやハマナスなどのさまざまな花の咲く樹に包まれた開放的な空間で,家族で憩える空間です。
宮沢賢治詩碑や,姉妹都市であるヴィクトリア市から贈られたトーテムポールがあります。

花壇

県立図書館前の花壇。百種類を超える草花が一年を通して咲き誇ります。
毎日の維持管理がボランティアクラブの手により行われています。

彦御蔵(ひこおくら)

江戸時代末期に建てられたといわれている土蔵で,城内に残る唯一の藩政時代の建築物で,参勤交代の道具蔵として使われていたと考えられています。
建物は木造総二階建ての土蔵造りで,内部は中央で二つに仕切られています。城跡に残る唯一の蔵(1749(寛延2)年7月5日竣工)。内部を二つに仕切り,参勤交代の道具蔵として使用されていたと推測されています。
外壁は漆喰塗り仕上げ,屋根は野地板の上に土を塗り,その上に木造屋根組を行う二重構造で,以前は瓦葺きでした。出入口は両開きの漆喰戸で,その内側に片引板戸が2枚ついています。外側の板戸外面は漆喰塗り仕上げとなっています。
この蔵はもともと現在地よりも100メートルほど西側に存在していましたが,道路の拡幅工事にともない,かつて「米内蔵」があった場所に移設されています。
建築面積は180.25平方メートル(54.5坪)。

あずまや

1906年(明治39年)に盛岡城跡公園が開園したとき,園内には8棟のあずまやが建てられ,それぞれに景観や自然,情緒にちなんだ愛称が付けられました。このうち,当時の場所に現存するのは下記の5棟です。

  • 夕陽亭(本丸西側)
  • 凌霊亭(天守閣跡)
  • 枕流亭(淡路丸下梅林)
  • 望岳亭(二ノ丸西側)
  • 拾翠亭(三ノ丸南側)

次の3棟は,石垣修復工事や老朽化などにより取り壊されました。

  • 観月亭(淡路丸大櫓跡)
  • 聚芳亭(バラ園内)
  • 双龍亭(公園広場)

その後,二ノ丸東側と吹上門跡付近に各1基新設され,現在園内には計8棟のあずまやがあります。

文学碑

石川啄木歌碑

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

1955年(昭和30年)10月建立。
歌碑がある岩手公園の「二の丸」は,啄木が学んだ中学校のすぐ近くにあたります。
啄木は,ときおり教室から逃げ出し,ここで文学の夢を結びました。
歌碑は,南部藩士邸の庭石だったといわれる自然石に,方形の銅板の碑がはめ込まれたものです。
(画面上ではアクセシビリティに配慮し,簡略化した「啄木」の文字を使用しています。ご了承ください。)

新渡戸稲造文学碑

「願わくはわれ 太平洋の橋とならん」

新渡戸稲造博士生誕100年を記念して,1962年(昭和37年)9月に二の丸に建立。
新渡戸は10歳まで鷹匠小路に居住し,岩手公園で遊んだことにちなんで,この公園に設置しています。

宮野小提灯句碑

「月待つや 独り 古城の松のもと」

句集「矮鶏」中「蓑虫」編の一句として,1941年(昭和16年)の太平洋戦争が起こる直前の作品。門下生達により,1951年(昭和26年)11月に吹上御門脇に建立されました。

宮沢賢治詩碑

「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は声もなし

なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり

老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はここにして
中学生の一組に 
花のことばを教えしか」
弧火燈(あーくらいと)にめくるめき
羽蟲の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり 
まちはしづかにたそがるる

賢治の死期迫る1カ月前の1933年(昭和8年)8月22日の日付のある文語詩百編の中の一詩で,「賢治の詩碑を岩手公園に建てる会」により,1970年(昭和45年)9月に建立されました。

彫刻・モニュメント

南部(利祥)中尉騎馬像台座

南部42代利祥(としなが)が24歳で日露戦争において戦死し,その功によって,功五級金勲章を受けたことを顕彰する像で,1908年(明治41年)9月に建立されましたが,銅像本体は1944年(昭和19年)に軍需資材として撤去され,現在は台座のみが残されています。

教育の像

笛を吹く生徒と,それを暖かく見守る女性教師の像は,学制発布百年を記念して岩手県小・中学校校長会が合同で,1974年(昭和49年)3月に建立したもの。岩手の教育を象徴し,教育の重要性を広く訴える像です。小野寺玉峰作。

トーテムポール(1995年5月)

岩手公園のトーテムポールのイラスト

カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアと盛岡市の姉妹都市10周年を記念して,1995年(平成7年)5月にビクトリア市より寄贈されたものです。
一番上のイーグル(鷲)は力・地位・富を象徴する地位の地位の高い紋章。
鷲のつかんでいるのは鮭で環太平洋地域の重要な食料源であるこの魚をたたえています。
手を前に差し出す真ん中の像は酋長を表現。
太平洋の架け橋となって世界の平和を願った新渡戸博士の志を表現するために選ばれた像です。
一番下にある像は熊の紋章で,偉大な力を持つ熊は高い地位の象徴です。

花時計

東北銀行20周年記念事業の一貫として1970年(昭和45年)11月に整備されました。花時計は,春にはパンジー,夏にはインパチェンスやベコニア,秋には菊,冬には葉牡丹と年4・5回植え替えられ,四季を通じて市民の目を楽しませています。

瀬川正三郎像

1917年(大正6年),京都武専を出たばかりの瀬川氏は,柔道師として盛岡中学に迎えられ,その若さと情熱,豪快な気質は生徒たちに大きな影響を与えました。盛岡中学をやめた後も,県のスポーツ振興につくしました。1975年(昭和50年)11月建立。舟越保武作。

世界アルペンメモリアルモニュメント

1993年(平成5年)に雫石で行われた世界アルペン選手権大会盛岡雫石大会開催を記念して,同大会の表彰会場となった岩手公園にモニュメントを設けました。
このモニュメントにはメダリスト達の手形がはめ込まれています。

教育記念像

1942年(昭和17年)に下閉伊郡荒川国民学校で水泳中,おぼれかかった教え子を救助しようとして殉職した小国テル子訓導の鎮魂の碑文がはめ込まれています。1955年(昭和30年)12月建立。堀江赳作。

日本の都市公園100選碑

1989年(平成元年)に「日本の都市公園100選」(社団法人日本公園緑地協会)に選定されたことの記念碑です。

イベントガイド

桜まつり

毎年4月下旬に開催。200本あまりの桜が咲きます。

もりおか環境緑化まつり

毎年4月下旬に開催。花苗特売,花苗プレゼントなどを行います。

いしがきミュージックフェスティバル

盛岡城跡公園をはじめ,盛岡市中心市街地で開催される音楽イベントです。

もりおか雪あかり

盛岡城跡公園内にミニかまくらを作り,その中でキャンドルを灯すことで,幻想的な景観をつくり出します。

施設案内

トイレ

4カ所(身障者用トイレ 1カ所)

岩手公園地下駐車場

所在:盛岡市内丸1-55
営業時間(入庫出庫可能時間):7時から20時まで(年中無休)

駐車料金

普通料金

  • 8時から18時まで  駐車時間30分までごとに150円
  • 18時から22時まで 駐車時間1時間までごとに150円
  • 22時から翌日8時まで  駐車時間1時間までごとに80円

定期駐車券

  • 全日 0時から24時まで 1カ月 2万1000円
  • 昼間 8時から19時まで 1カ月 1万5000円
  • 夜間 18時から翌日8時まで 1カ月 9000円

回数駐車券

  • 150円11回券…1500円

自然環境

  • 代表的な樹種はケヤキ,トチノキ
  • 盛岡固有の樹種,地方色の濃いものなど珍しい樹種としては,シダレカツラ,ケンポウナシ,センノキ,エゾユズリハ,チョウセンゴヨウ,ザイフリボク,キハダ,モクゲンジ,クマノミズキ,ヒトツバタゴなどがあげられる。
  • 城跡に調和するように常緑樹の種類は比較的少なく選定され,アセビ,リュウキュウツツジなど20種類がある。

周辺スポット

中津川

盛岡を象徴する川である中津川は,市内中央部を南西に流れる北上川の支流で,延長約22.8キロメートル。
夏はアユが釣れ,秋にはサケが遡上する川として親しまれています。

上の橋

1597年(慶長2年)南部27代利直の時に,盛岡城下を建設した際に,発展の第一歩として,市の中心を流れる中津川に架けられた橋です。
京都三条大橋をほうふつとさせる青銅製の擬宝珠は,城下町盛岡のシンボルで,1609年(慶長14年)の銘があるものが8個,慶長10年の銘があるものが10個あり,これだけ数多く残っているのは珍しく,国の重要美術品になっています。

宮沢賢治歌碑(下の橋のたもと)

当時,賢治は川べり近くに住んでいました。
「ちゃんがちゃんが馬コ」の詩は,朝にチャグチャグ馬コが通り過ぎるときの様子を描いています。

新渡戸緑地

新渡戸稲造生誕の地を緑地として整備しています。
新渡戸稲造は国際連盟事務次長までつとめ,各国の政治家,思想家,学者らと交流し「われ太平洋の架け橋とならん」という理念に基づいて,諸外国の日本理解のために尽力しました。

御田屋(おたや)清水

盛岡ではかつて,町のあちこちで清水が湧いていました。
都市化と共に消えていく湧き水ですが,ここは街の中心部でも湧き続けており,自由に飲むことができます。

石割桜

現在の盛岡地方裁判所は,南部藩の家老北家の屋敷跡に建てられています。その庭のサクラは,周囲23メートルの巨大な花崗岩を二つに割って成長したエドヒガン。
樹齢は300年とも400年ともいわれています。
根回り4.3メートル,樹高10メートルで,4月下旬市内で真っ先に花を付けます。
国指定天然記念物。

このページに関するお問い合わせ

都市整備部 公園みどり課
〒020-8532 盛岡市津志田14-37-2 盛岡市役所都南分庁舎2階
電話番号:019-639-9057 ファクス番号:019-637-1919
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