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第69回:田鎖綱紀(たくさりこうき)

更新日 2011年12月14日

田鎖綱紀(1854年~1938年)

日本速記術の創始者

田鎖綱紀(たくさりこうき)の写真

田鎖綱紀(幼名:八十吉(やそきち))は1854年(嘉永7年)8月15日,盛岡油町(現:盛岡市本町通)にて盛岡藩士田鎖仲蔵,シュンの次男として生まれた。田鎖家はその祖を閉伊源十郎光行とするため,田鎖ものちに源氏を名乗っている。
田鎖は日本語における速記術の創始者であり,現在の早稲田式や衆議院式などの速記はその流れをくんでいる。
田鎖は明治になってから上京した。当初は航海士を目指しており,大学南校(現:東京大学)で英語や数学などを学んだ。世話をした旧盛岡藩士一條基緒は,その測量技術や語学力を高く評価し,鉱山寮への就職を斡旋する。1872年(明治5年)には秋田県の大葛金山に赴き,工学博士ロバート・G・カーライルと出会う。そこで田鎖は奇妙な文字を見た。カーライルはそれを英語の速記文字だと説明,その時に田鎖は日本語の速記化を思いつき,以後1882年(明治15年)まで独力による創設に悪戦苦闘した。同年10月,田鎖は「日本傍聴筆記法講習会」を開催,24人の生徒に自身の編み出した速記法を伝えた。しかしまだ実践的ではなく,生徒たちは田鎖の速記に独自の改良を加える。のちに速記に目をつけた金子堅太郎は国会議事録への採用を提案,そのため1890年(明治23年)の第1回帝国議会から,その議事録は速記により作成された。
田鎖は英語のほかに数ヶ国語を話すことができ,晩年には日本語の速記法の改良だけではなく,朝鮮語や中国語,さらにはエスペラント速記の創設にも取り組んだ。

掲載日:2007年8月10日

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