連載コラム(盛岡ブランド開発)

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広報ID1009731  更新日 令和3年9月21日 印刷 

広報もりおかコラム「もりおか暮らし物語」

盛岡ブランドをテーマにしたコラムを広報もりおかに連載しました。掲載したコラムは次のとおりです。

第1話 南部鉄瓶

盛岡を代表する伝統工芸品といえば「南部鉄瓶」。材料やデザイン、製作技法など、実は身近な暮らしの中から生まれたものであることをご存じですか?

盛岡は、鋳物づくりに必要な砂鉄や鋳物砂、木炭などに恵まれた環境。昔ながらの「南部湯釜」という鋳物に使いやすさを求め、弦(つる)と注ぎ口を付けたものが南部鉄瓶の始まりです。

南部鉄瓶は、形やデザインもさまざま。身近な植物などをかたどったデザインは、とても奥深いものです。

また、鉄瓶を真っ赤になるまで焼くことで鉄瓶の内側に膜が形成され、内部をさびから守ります。これを「南部鉄瓶金気止(かなけど)め」といい、南部鉄瓶の特徴の一つ。この技術のおかげで鉄瓶で沸かしたお湯には鉄イオンが溶け込み、鉄分を普段の生活で摂取できるのです。また鉄瓶は熱効率がよいため、電磁調理器との相性も抜群です。

身近な暮らしの中から生まれた南部鉄瓶は、昔から今へ、市民の暮らしに息づいています。

(2006年5月1日号)

第2話 盛岡と豆腐

盛岡市は「豆腐消費量日本一」((注)総務庁統計局「家計調査」)です。1988年(昭和63年)から2004年(平成16年)まで、消費量が日本一から外れた年は2001年(平成13年)だけです。

どれくらいの豆腐を食べているのかというと……平成16年の1年間に消費した量は一人当たり100.29丁。全国唯一3桁の消費量です。一丁は約300グラムなので、わたしたちは1年に約30キロの豆腐を食べていることになります。

豆腐の原料は大豆。岩手県では主に「スズカリ」と「南部白目(なんぶしろめ)」が栽培されています。「南部白目(なんぶしろめ)」は藩政時代から栽培され、特産品として大阪や京都などで取り引きされていました。最近では、玉山区特産の「黒平(くろひら)大豆(通称・雁喰豆(がんくいまめ))」を使った豆腐なども作られています。

盛岡名物「よせどうふ」は、濃い豆乳を使い、そのまま固めるため、滑らかさと大豆本来のうまみが楽しめます。

盛岡のきれいな水と出合った大豆は、おいしい豆腐に加工され、これまでも、これからも盛岡市民の暮らしを彩ります。

(2007年6月1日号)

第3話 盛岡の地酒

国で唯一、全国新酒鑑評会で金賞を12年連続受賞した酒蔵が、盛岡にあります。これほどまでに高い評価を受ける盛岡の地酒。その秘密は、酒造りに必要な条件が盛岡にそろっているからです。

おいしい酒造りに必要なのは、大地の恵みである米と清らかな水。厳しい冬の寒さや降り積もる雪、澄み切った空気なども欠かせません。そして、なにより重要なのは、酒造りの責任者である「南部杜氏」の伝統ある熟練の技です。

南部杜氏は何事にも粘り強く、蔵元のどんな要望にも応えられる器用さを兼ね備えていると、全国的に高く評価されています。現在、全国約300の酒蔵に、1000人を超える南部杜氏や酒造り職人が招かれて、その高い技術を生かした魅力ある酒造りを行っています。

昔から変わらず、人生の節目や祝いの席で愛される盛岡の地酒。代表銘柄をはじめ、季節ごとの限定酒や古酒など品ぞろえも豊富です。盛岡の地酒は、これからも盛岡の暮らしとともに歩みます。盛岡の地酒で乾杯!

(2006年7月1日号)

第4話 盛岡さんさ踊り

日本一の太鼓パレード「盛岡さんさ踊り」。今年は8月1日から4日まで開催され、盛岡のまちに太鼓の音が響き渡ります。

盛岡さんさ踊りは、青森ねぶたや秋田竿灯(かんとう)のような東北を代表する祭りを育てようと1978年(昭和53年)に始まり、今年で29回目。盛岡の各地域には多くの伝統さんさ踊りが昔から今に伝わっています。伝統さんさ踊りは輪踊りが基本。一番の特徴は太鼓を打ちながら踊るところです。花笠や5色の腰帯などの衣装をまとい、練り上げられた踊りは勇壮華麗です。昭和15年に公開された映画「馬(山本嘉次郎監督)」や、平成15年に公開された映画「壬生義士伝(みぶぎしでん)(滝田洋二郎監督)」にもさんさ踊りが登場します。女性も太鼓を持つという芸能は、全国的にも珍しいものです。盛岡さんさ踊りは、男性の数を上回る女性が太鼓で参加し、盛岡の夏を盛り上げます。

全国一を誇る合計1万個の太鼓を打ち鳴らす音。これまでもそしてこれからも、盛岡の夏を彩る暮らしの物語として伝統を伝えていきます。

(2006年7月15日号)

第5話 盛岡の水(1)

「盛岡の水道水はおいしい」と観光客などに評判です。そのおいしさの秘密は、水の硬度にあります。水の硬度とは、水の中に含まれるカルシウムイオンやマグネシウムイオンの成分量を表したもの。硬度が0から60は軟水、60から120は中程度の軟水、120から180は硬水、180以上は非常な硬水といわれます。日本の水道水の平均硬度は約60。盛岡を流れる川から取水した水道水の硬度は約20前後で、かなりの軟水です。

軟水にはさまざま利点があります。飲んだときの口当たりが軟らかく、お茶やコーヒーなどが短時間で抽出でき、まろやかな味になるのが特徴。昆布や煮干しなどのだしも出やすいです。また、せっけんの泡立ちも良く、汚れをよく落とすため、洗濯の洗剤使用量が少なく済みます。さらに、肌にもやさしく、肌荒れを起こしにくい性質もあります。

魅力的な盛岡の水。三方を山に囲まれた地形や、人々が昔から水に関わる環境を大切にしてきたことが、その魅力の源泉です。盛岡の水は、これからも盛岡の暮らしを潤します。

(2006年8月1日号)

第6話 盛岡の水(2)

盛岡市内には水道が普及した今も生活用水として利用されている清水があります。代表的な清水は、鉈屋町にある「大慈清水(だいじしみず)」と「青龍水(せいりゅうすい)」です。

清水の一番の魅力は水の温度。水温は、その地域の年平均気温と同じくらいといわれています。盛岡の年平均気温は10度。気温に影響されることなく、夏は冷たく、冬は温かく感じます。

また、塩素滅菌をしていないため、においがないことも魅力。お茶やご飯炊きなどに利用するため、朝早くから付近の人だけではなく自動車で遠くから水くみに来る人などでにぎわっています。

大慈清水(だいじしみず)と青龍水(せいりゅうすい)を守ってきたのは、それぞれ地域の人たちで組織する用水組合。明治時代にすでに結成されていた組合は、会員が資金を出し合い、清掃や施設の整備を行ってきました。青龍水(せいりゅうすい)前の石垣に記された寄付者には、北上川対岸の仙北町や青物町(あおものちょう)の人も含まれています。

清水が地域の人だけではなく、街全体で大切に守られてきたことを物語っています。

(2006年8月15日号)

第7話 めん都、盛岡

盛岡には「盛岡ならでは」の麺(めん)文化があります。「おもてなしの心」を形にした「わんこそば」、朝鮮半島生まれの冷麺(めん)を盛岡風にアレンジした「盛岡冷麺(めん)」、中国東北部の家庭料理の味を盛岡に根付かせた「じゃじゃ麺(めん)」-。これらを「盛岡三大麺(めん)」として全国に発信しています。最近では、南部鉄器の鍋に三陸の海の幸や南部小麦の手打ち麺(めん)を入れた「南部はっと鍋」を仲間に加え「盛岡四大麺(めん)」としてPRしています。

食べかたや素材、味に特徴がある、個性が強い麺(めん)を生み出してきた盛岡。その盛岡に住む人の麺(めん)好きを証明するデータを紹介します。なんと、盛岡市は中華麺(めん)の消費量・金額ともに全国一(注)。家庭で1年間に、中華麺(めん)を1万3778グラム、6733円も消費している計算になります。

盛岡の風土に合わせて進化し、盛岡の人に愛されて育った独特の麺(めん)文化。これからも盛岡を語る上で、欠かせない魅力であり続けることは間違いありません。

(注)2004年家計調査品目別データ・総務省統計局調べ

(2006年9月1日号)

第8話 秋まつり山車

9月14日から16日までの3日間、「ドンコドンコ」と心地よいテンポの小太鼓や大太鼓の音と「ヤーレヤーレ」の囃子(はやし)声、そして絢爛(けんらん)豪華な飾り人形を乗せた大八車の車輪の軋(きし)む音が響き渡る盛岡の秋-。

盛岡秋まつり山車は、およそ300年前、盛岡城下23町の町割りの完成を祝って始められました。盛岡山車は、天(松、桜、藤、牡丹、竹)、人(主題の人形)、地(大岩、小岩)、海(波、しぶき、滝)の様式にのっとり製作されています。明治時代には各町ともに大きさを競い合い、見上げるような大きな山車が奉納されていました。

奉賀の返礼としてあげられる「音頭」は「七、七、七、五」の句にまとめられ、南部木遣(きや)り調の盛岡独特の音頭が鍛え上げられた美声でうたいあげられます。

南部火消し組の人々を中心に伝承され、地域ぐるみの協力と参加で奉納される盛岡秋まつり山車。江戸時代以来、盛岡の町衆が作り上げてきた秋を彩る祭りは、今日も、そしてこれからも町中に響き渡ります。

(2007年9月15日号)

第9話 津志田の芋の子

津志田地区はその昔、雫石川が流れ、奥羽山脈からの有機物や腐葉土を多く含んだ軟らかな土が堆積した土地。こうした適度に水を含む畑で育つ津志田の芋の子は、葉の茎が青い「青茎」のサトイモで、滑らかさと粘りが特徴です。

津志田の芋の子は「親芋」のまわりに「子芋」や「孫芋」がたくさん付きます。同じ種芋をほかの地域で栽培しても、肥よくな土で育つ津志田の芋の子のように、大きな芋がたくさん育たないといいます。

芋の子が収穫される秋には津志田地区では、親類や友人などで大きな鍋を囲んで「芋の子食い」を開きます。芋の子汁のほか、ゆでた孫芋を「ずぼ抜き」という手法で皮をむき、手のひらでつぶし、大根おろしと生じょうゆだけで食べる「むき芋」は、滑らかさと粘りを堪能することができる食べかたです。

豊かな土地の恵みを十分に受け、昔から重宝されてきた津志田の芋の子は、これからも盛岡の暮らしに根付いた実りの便りを伝え続けることでしょう。

(2006年10月1日号)

第10話 サケが上る川

盛岡秋祭りが終わり、秋が深まってくると、市内を流れる中津川に架かる橋の上から、川面をのぞき込んでいる人の姿が増えてきます。4年前に北上川を下り、太平洋で成長したサケが、子孫を残すために北上川河口から約200キロを上り、ふるさと盛岡に帰ってきたのです。

サケは、長い旅のせいで体中が傷だらけです。その体で、自分の子どものゆりかごとなる住み心地のよい川底を探し出し、全身を使って丁寧に川底をならします。そして最後の力を振り絞って、新しい、小さな生命を残し、サケは一生を終えるのです。

かつては鉱毒などで汚染されていた北上川は、鉱毒の中和処理施設やダムの完成、下水道の整備などで、サケが上るほどきれいになりました。同時に市民の水辺環境への関心も高まり、今は市内の商店や学校などでもサケの稚魚を育て、子どもたちが4年後の再会を夢見て「元気でいってらっしゃい」と放流する姿を見ることができます。

サケが命をつないでいる川。この清流を、いつまでも守り続けていかなければいけません。

(2006年10月15日号)

第11話 歴史的建造物

盛岡の近代化の流れを今に伝える歴史的建造物は、市内に数多くあります。

1911年(明治44年)に完成した岩手銀行中ノ橋支店。赤レンガタイルと白い花こう岩のコントラストが美しい特徴ある建物です。設計は、明治時代を代表する建築家の辰野金吾(たつのきんご)と地元盛岡出身の葛西萬司(かさいまんじ)が担当。1914年(大正3年)に建てられたJR東京駅と同じ設計者で、互いにデザインがよく似ているといわれています。

もう一つは、1927年(昭和2年)完成の県公会堂。1929年(昭和4年)に建てられた東京都の日比谷公会堂と同じ早稲田大学の佐藤功一(さとうこういち)教授が設計。鉄筋コンクリート造りの建物に独特の風合いのタイルを張り、真ん中に塔がそびえた高さを強調したデザインは共通しています。

岩手銀行中ノ橋支店は東京駅より3年、県公会堂は日比谷公会堂より2年早く完成しています。

全国に先駆けて造られ、多くの人たちに愛され、盛岡の景観に欠かすことができない数々の歴史的建造物。これからも盛岡の暮らしを見守り、歴史を刻んでいくことでしょう。

(2006年11月1日号)

第12話 盛岡りんご

盛岡は、本州で最初にリンゴの栽培を始めた「リンゴ先進地」です。現在、世界で一番生産されている「ふじ」の原木は、1961年(昭和36年)に青森県藤崎町から下厨川字鍋屋敷の果樹研究所に移され、大切に育てられています。研究所では約2000種類のリンゴを栽培。甘みと酸味のバランスがよい赤い夏リンゴ「さんさ」や糖度が20%を超え濃厚な食味の「はるか」など、盛岡生まれ、盛岡育ちの品種もあります。

市民もリンゴ好きで、リンゴの消費量も日本有数。「盛岡りんご」はそんな市民が誇る逸品ですから、味も品質も折り紙つきです。おいしさの秘密は、何と言っても糖度が高いこと。太陽の光を十分に浴びて育つように、完全に熟すまで収穫しません。さらに一日の寒暖の差が大きいので、葉で作られたおいしさが、実にたっぷりと蓄えられます。

ビタミンCが豊富に取れ、美容と健康にもいい「盛岡りんご」。熟練した栽培技術と恵まれた気候条件の中で、おいしさを追求し続ける「盛岡りんご」は、盛岡の誇るべき果実として、これからも愛され続けることでしょう。

(2006年11月15日号)

第13話 盛岡文士劇

今年で12回目を迎える盛岡・冬の風物詩「盛岡文士劇」。その歴史は1949年(昭和24年)にさかのぼります。

戦後間もない暗い世相に「何か市民が喜ぶようなものをやろう」と立ち上がったのが盛岡在住の作家、鈴木彦次郎。その呼び掛けに応じ、同じく盛岡在住の画家、橋本八百二や深沢省三、盛岡演劇会の盛内政志らが参加し、同年12月「第1回盛岡文士劇の夕」が県公会堂で開かれました。その後、毎年上演されましたが、1962年(昭和37年)の公演を最後に幕を閉じ、旧盛岡劇場も老朽化のため解体され、盛岡文士劇の灯は消えたかと思われました。

1990年(平成2年)、新しい盛岡劇場が完成。同時に文士劇復活の気運が盛り上がり、1995年(平成7年)11月、33年ぶりに復活しました。復活第1回には、作家の高橋克彦さんや三好京三さん、斎藤純さんらが出演。以来、作家を中心とした「時代物」と地元アナウンサーらによる「盛岡弁による現代劇」は大人気で、チケット発売後、間もなく完売するほどです。全国で唯一の文士劇は、盛岡の冬の娯楽として、これからも愛され続けることでしょう。

(2006年12月1日号)

第14話 わんこそば

「はい、じゃんじゃん」と給仕の掛け声とともに、おわん(椀コ)に入れられる一口ほどのそば。おかわりをすると、どんどんおわんが重なっていきます。

盛岡三大麺の一つで、知名度も高い「わんこそば」。盛岡に遊びにきた友達を、食べに連れていったことがある人もたくさんいるのではないでしょうか。

その昔、大勢の客が集まる宴席などでは、そばを振る舞う風習がありました。一度に大勢の人がゆでたてのそばを食べられるように、小分けにしたそばをおわんに盛り、満足できるまでおかわりを勧めたことが「わんこそば」の由来といわれています。わんこそばは、もてなしの心を伝える食文化なのです。

最近は、食べた数を競うのではなく、食べる人のペースで給仕をする「ゆっくりわんこそば」も登場し、高齢者や初めてわんこそばを食べる人に喜ばれています。

「もてなしの心」を表現するわんこそばは、食べる人の喜びを大切にし、盛岡を訪れる人をもてなし続けることでしょう。

(2006年12月15日号)

第15話 南部しぼり紫紺染・茜染

盛岡を代表する伝統工芸の一つ「南部しぼり紫根染・茜染」。

紫根染はムラサキ、茜染はアカネという植物の根からとった染料を使う、古くから伝わる草木染めです。特に紫根染は、南部地方が良質な紫根の産地であったことから、江戸時代には藩の特産物として幕府へ献上されました。

明治維新後、化学染料の輸入により一時技術が途絶えましたが、第一次世界大戦で染料の輸入が難しくなったのを機に、1918年(大正7年)、加賀野地内に南部紫根染研究所が開設。その主任として招かれた藤田謙により再興され、彼は、絞りや媒染などに改良を加えたほか、新しいデザインを生み出しました。現在では800種類もの図柄があります。

工程はすべて手作業。色素を生地に定着させるための下染めに半年、1反あたり2から5万個の絞りの製作に数カ月から1年、染色後絞りを解いて3から5年ほど寝かせて本来の色に仕上げ、その後、仕上げ作業を経て完成します。

長い歴史を持ち、丁寧な手作業で仕上げられる南部しぼり紫根染・茜染は、全国にファンを持つ、盛岡が誇る特産品ブランドです。

(2007年1月1日号)

第16話 盛岡弁(ことば)

「よぐ、おでってくなんした(ようこそおいでくださいました)」「おもさげながんす(申し訳ありません)」「おすずがぬ(お気をつけて)」

「盛岡弁」は、雅な響きを持ち、穏やかな言葉として知られています。南部の殿様が、城下町をつくるときに近江(滋賀県)の商人や職人を多く招いたことや、京との交流も盛んだったことから、京言葉に似た発音になったといわれています。

盛岡弁の特徴は、鼻濁音を多く使うことで、濁音の硬さが和らいで優しい響きになることや、間接的な言い回し(例:難儀、きつい-「ゆるぐない(緩くない)」など)で、聞く側にとって抵抗が少ないことなどがあります。

盛岡の暮らし文化の中ではぐくまれてきた盛岡弁。」これを大切に守り、使い続け、伝えようと多くのサークルや学会などが活動を行っています。

盛岡ならではの柔らかな「盛岡弁」は、盛岡を訪れる人を優しくもてなし、いつまでも語り継がれることでしょう。

(2007年1月15日号)

第17話 北上川

  やはらかに柳あをめる
  北上の岸辺目に見ゆ
  泣けとごとくに

石川啄木の歌にも登場する北上川。盛岡市内を悠然と流れる情景は、岩手山とともに盛岡を代表する自然景観です。その存在感は、盛岡市内の多くの学校の校歌にも、北上川が歌われていることからも感じることができます。

1890年(明治23年)に東北本線が開通するまで、舟の輸送により大阪や東京を結ぶ大動脈として、重要な役割を果たしてきた北上川。大正後期から、上流の旧松尾鉱山から流れる強い酸性の鉱毒水により、魚もすめないほどの川になりました。しかし現在は、中和処理施設やダムの建設により清流としてよみがえりました。

春になると開運橋のたもとが花で彩られ、夏には盛岡の伝統行事「舟っこ流し」やゴムボート川下り大会が開催され、秋になるとサケが上り、冬には白鳥が訪れる川として、市民に親しまれる川でもあります。

北上川はそれぞれの季節を川面に映しながら、これからもとうとうと流れていきます。

(2007年2月1日号)

第18話 中津川・石垣護岸

盛岡城跡の東側を流れ、河原に下りれば水と触れ合える中津川は、市民の憩いの場として親しまれています。

その中津川原の遊歩道脇に築かれたごま石(花こう岩)の石垣護岸は、1912年(大正元年)に完成しました。流量計算を基に作られた、高さ2.7から3.5メートルの美しい石垣護岸は人力で積み上げられたものです。

昭和30年代から始まった、護岸をコンクリートに変える工事が中津川で始まると、市民は「コンクリートの高い塀が川沿いにできると、子どもたちが川の流れや四季の移ろいを見ることができなくなる」と1967年(昭和42年)に反対運動を展開。味わい深い石垣護岸の破壊と、無機質なコンクリート化の工事は中止になりました。

中の橋の下流左岸(プラザおでって側)はコンクリート製で、高い塀のようになっています。最近、花こう岩の薄い板を張り付け、石垣護岸のように仕上げました。

石垣護岸から眺める中津川の水辺の景観は、先人たちが大切に守った贈り物。いつまでも語り継いでいきたい物語です。

(2007年3月1日号)

第19話 二度泣き橋

盛岡の玄関・盛岡駅。その駅前を流れる北上川に架かる開運橋には「二度泣き橋」という別名があるのをご存じですか。その名前には、盛岡の暮らしの中から生まれた物語があります。

赴任先は岩手・盛岡。春まだ浅く、寒さが残る盛岡駅に降り立ち、盛岡市内に向かう開運橋の上に立つと涙が込み上げてきた。「なんて遠くて寒い、地方の町に来てしまったのだろう-」。

数年後、盛岡を離れることになり、盛岡駅に向かう。開運橋を渡りかけ、ふと、後ろを振り返る。盛岡で触れた豊かな人情や美しい自然-。盛岡を離れ難い思いがあふれ、再び涙が込み上げてきた。

盛岡のきれいな水や豊かな自然、温かく穏やかな人柄ともてなしの心、脈々と受け継いできた文化などが、このような逸話を作り上げているのでしょう。

現在は、東京から盛岡までは2時間30分。遠い地方のイメージはなくなりました。二度泣くことはなくなったかもしれません。しかし、暮らしの中から生まれた物語は、いつまでも語り継がれていくことでしょう。

(2007年3月15日号)

第20話 南部せんべい

盛岡名物「南部せんべい」。かつては、ひえ・あわ・そばなどの雑穀をひいた粉を原料に作られ、非常食や携行食として、凶作が多かった旧南部藩領の人々の命をつなぐ大切な食べ物でした。

南部せんべいの由来は、楠木正成(くすのきまさしげ)の子孫が八戸地方に渡り、せんべいを焼いたという説と、長慶(ちょうけい)天皇が北奥羽を旅行した際、赤松助左衛門(あかまつすけざえもん)がそば粉を練り丸い形に焼いて、献上したという説があります。

主原料が小麦粉に変わり、焼き上がりがきれいで歯触りがよくなったのは明治になってからです。ごまやピーナツなどの伝統的なものから、最近では盛岡冷麺(れいめん)の材料を使った変わり種もあります。

ところで、せんべいの表面に図柄が描かれていることをご存知ですか。図柄の多くは「菊水(きくすい)」か「三階松(さんかいまつ)」の文様です。菊水は楠木家の家紋、三階松は赤松を表しているといわれています。

南部せんべいは、南部地方を代表する菓子として変わらず、これからも多くの人に愛され続けるでしょう。

(2007年6月1日号)

第21話 盛岡じゃじゃ麺

「盛岡じゃじゃ麺(めん)」は、わんこそば・盛岡冷麺(れいめん)・南部はっと鍋とともに、盛岡四大麺として「めん都、盛岡」を代表する麺料理です。

盛岡じゃじゃ麺のルーツは、中国東北部の家庭料理「炸醤麺(ザージャンミェン)」。元祖じゃじゃ麺の店・白龍(ぱいろん)を創業した高階貫勝(たかしなかんしょう)さんが、そこで生活していて出合い、盛岡に戻ってもその味が忘れられず、改良を重ね屋台で出したのが始まりです。現在は、店ごとに肉みその味付けが独特で、それぞれの店には根強いファンがいます。

そしてもう一つの特徴は、食べた後に「チータンタン」で締めること。これは中国語で鷄蛋湯(ジーダンタン)といいます。高階さんが酔い覚ましに飲んでいるのを見た客からのリクエストでメニューに登場しました。

盛岡じゃじゃ麺は、NHKの連続テレビ小説・どんど晴れに度々登場します。どんど晴れといえば、放送二日目から視聴率が連続して最高の人気番組。一度経験するとどんどん夢中になっていく「どんど晴れ」と「盛岡じゃじゃ麺」。どちらも盛岡の良い味を出しています。

(2007年7月1日号)

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