第56回:川口月嶺(かわぐちげつれい)
川口月嶺(1811年~1871年)
円山四条派の画人
川口月嶺(本名:七之助)は1811年(文化8年),陸中国鹿角郡花輪村(現:秋田県鹿角市)にて麹(こうじ)屋を営む川口七之助の次男として生まれた。幼いころから絵に親しみ,18歳で絵を学ぶために故郷を離れた。
1831年(天保2年),月嶺は江戸で四条派の画人鈴木南嶺に師事した。四条派とは,円山派を学んだ松村呉春(まつむらごしゅん)がおこした写生を重視した客観的な画法である。出奔(しゅっぽん)同然で離郷したため生活は苦しく,按摩(あんま)や筆耕で生計を支えながら画業を学んだ。後に頭角を現した月嶺は,柴田是真とともに南嶺門下の双璧と称せられた。ちなみに月嶺の画号は師の南嶺から与えられている。
1845年(弘化2年)に郷里花輪へ戻った月嶺は,その翌年に画業を伝え聞いた盛岡藩主南部利済により召抱えられた。当時の盛岡の画壇は狩野派を中心とした伝統的なものであったため,月嶺の画風はその新鮮さとともに人々に受け入れられた。月嶺は次第に藩の中枢的な画人となり,その門下からは川口月村や船越月江などの多くの逸材が輩出した。
月嶺は多くの作品を残したが,そのなかでも人物と動物画に優れており,多くのエピソードがある。その中には,月嶺の描いた牡牛があまりの迫力であったため毎晩田畑を荒らしまわり,見ると肢と鼻先が濡れていたので縄で縛ったといった伝説(?)のような話も残っている。
掲載日:平成19年1月25日
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