国指定文化財等 青銅擬宝珠

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広報ID1009347  更新日 令和4年3月18日 印刷 

青銅擬宝珠(せいどうぎぼし)(上ノ橋)の写真

指定・区分

(上ノ橋)国認定 重要美術品(工芸)
(下ノ橋)盛岡市指定 有形文化財(工芸)

名称・員数

(上ノ橋)青銅擬宝珠(せいどうぎぼし) 18個
(下ノ橋)青銅擬宝珠 18個

所在地

中津川上ノ橋、下ノ橋所在

所有者・管理者名

盛岡市

指定(認定)年月日

(上ノ橋)1945年(昭和20年)8月3日
(下ノ橋)1971年(昭和46年)2月1日

概要

盛岡城下(もりおかじょうか)、中津川(なかつがわ)にかかる上ノ橋(かみのはし)と中ノ橋(なかのはし)の欄干(らんかん)につけられた青銅鋳物擬宝珠36個のうち、上ノ橋の18個が国の重要美術品に認定されています。また、あとの擬宝珠は、中ノ橋が洋式架橋された1912年(大正元年)11月に下ノ橋に移され、市の有形文化財に指定されています。

南部家(なんぶけ)所伝によると、これらの擬宝珠は、南部遠江守政行(なんぶとうとうみのかみまさゆき)が在京中に、加茂川の橋の擬宝珠を写すことの勅許(ちょっきょ)を得て、領国三戸城(さんのへじょう)熊原川の橋に取り付け、黄金橋と称したことが伝えられています。1598年(慶長3年)、南部利直(なんぶとしなお)が盛岡城普請(ふしん)に着手し、城下建設の一歩として城下中央を流れる中津川の清流に、上ノ橋(1609年(慶長14年))、中ノ橋(1611年(慶長16年))、下ノ橋(1612年(慶長17年))の三橋を架け、上ノ橋と中ノ橋にこの擬宝珠を移しました。しかし中津川は、北上(きたかみ)・雫石(しずくいし)両川の合流地点に注ぎ、三川落ち合って水勢・水量の変化が激しく、しばしば洪水の厄いに遭い、落橋・流失を繰り返しました。そのたびに不足した擬宝珠は鋳直して常に原数に復元され、寛政年間には上ノ橋に18個、中ノ橋に20個の擬宝珠が付けられていたと「篤焉家訓(とくえんかくん)」に記録されています。

現在、上ノ橋在銘が17個、中ノ橋在銘が19個あり、原数より2個欠損していますが、いずれも藩政期の文化を表象するものです。

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