盛岡市指定文化財 旧宇津野発電所

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広報ID1009362  更新日 令和5年5月30日 印刷 

旧宇津野発電所の写真

指定・区分

盛岡市指定 有形文化財(建造物)

名称・員数

旧宇津野発電所(きゅううつのはつでんしょ) 1棟
付(つけたり) 発電設備・送水管

所在地

川目第9地割168番地1

所有者・管理者名

盛岡市

指定年月日

1979年(昭和54年)8月1日

概要

旧宇津野発電所は、盛岡電気株式会社(現在の東北電力株式会社)により、1904年(明治37年)に着工され、翌1905年(明治38年)9月から営業を開始しました。盛岡市内77戸に初めて電灯をともした記念すべき発電施設であり、岩手県内現存最古の発電施設として今日まで保存されています。

発電のもととなる水は、北上川支流の簗川から取水し、水路を経て宇津野に入ります。さらに、発電所裏山の送水管で発電機下部に水を取り入れ、噴射式によって水車を回転させ、電力を供給しました。

概要

運転開始当時の出力は120キロワット、その後幾たびかの改造を経て250キロワットとなりましたが、大型発電所の建設や発電施設の老朽化のため、 1973年(昭和48年)7月、約70年にわたる操業を終了し、盛岡市に譲渡されました。1979年(昭和54年)8月には、市の有形文化財に指定され、岩手県内に現存する最古の発電所として今日まで保存されています。

同時期に建てられた旧岩手県庁や旧盛岡郵便局などは既に現存しておらず、当建造物および施設は、盛岡の近代化を知るうえで貴重な遺産といえます。

切妻平屋建て(158.67平方メートル)半地階の洋風木造建築で、外観は下見張りのペイント塗仕上げ、窓建具は上げ下げ式、建物正面にはドーマウィンドウが付き、出入口上部の庇の切妻破風飾板(きりづまはふかざりいた)の透かし彫りが特徴です。工場としての建物のため天井張りはなく、洋小屋式のクインポストトラス型(対束小屋組)となっています。これらの特徴は明治の木造建築の手法を見る上で重要な文化財であることを示しています。

また、現存する建物基礎部の石積み(地階部分)や放水路の石積みなどから竣工当時の状況を読み取ることができます。

発電機・水車・励磁機(れいじき)

宇津野発電所の機械設備は米国製のものが使用されていました。発電機、励磁機は、ウェスチングハウス社製、水車はレックエル社製で、いずれも当時としては最新鋭の設備でした。

運転開始当初の発電機の出力は120キロワットでしたが、1907年(明治40年)に発電機1基(出力180キロワット)が増設され、総出力は300キロワットとなりました。その後、1931年(昭和6年)に出力120キロワットの発電機が廃止され、出力180キロワットの発電機は改造されて、250キロワット(現存)となり、1973年(昭和48年)7月の廃止まで運転されました。

コイル等は再三の補修・修理がされまていますが、発電機本体は、岩手の近代化と産業・生活エネルギーの革命的変化を生み出した当時の姿をとどめています。

水路 送水管

宇津野発電所は、北上川水系簗川の上流に、低い堤防によって水をせきとめ(俗に電気留という)、取水した水を水路(3.8キロメートル)により水槽(裏山上部建屋)まで導き、送水管から発電所下部に水を取り入れ、噴射式によって水車を回転させて発電する「自流方式」の水力発電所です。

発電所運転開始当初、水路は全部開渠でほとんど素堀りの原始的なものでした。後に水路は、石積みの個所を一部残し、大部分がコンクリート製に改修され、発電所廃止後は、沢田浄水場の導水路として活用されています。

裏山の送水管(鉄管)は、内径95センチ、厚さ9ミリ、全長72.3メートルで、1本が残存しています。1907年(明治40年)から1931年(昭和6年)までは発電機が2基あったことから、送水管は2本ありました。 

岩手の電気事業の始まり

岩手県の電気事業の第一歩は、電気会社設立計画から実に8年もの歳月を要して始まりました。

1896年(明治29年)、村井弥兵衛ら盛岡財界人の有志と、当時盛岡市長だった清岡等は、仙台の三居沢発電所などを視察、水力発電所に、岩手の近代化の担い手としての大きな可能性を見いだして帰りました。

清岡は、帰る早々、発電所建設に適した河川を調査する段階まで話を進めましたが、事業をまとめ上げるものがおらず、それ以上の進展はありませんでした。

またこの年、三陸一帯を襲った大津波で岩手県に大きな被害が出たことも、電気会社の設立を遅らせる大きな要因となりました。

紆余曲折の末、1904年(明治37年)7月、既に市長を退いていた清岡が社長に就任し、資本金10万円により、盛岡電気株式会社が設立されました。

1905年(明治38年)9月12日、盛岡電気株式会社は、ここ宇津野発電所から記念すべき文化の灯を盛岡の街(盛岡市肴町、紺屋町、内丸、大沢川原地区)へと送りました。これが、岩手県最初の電気の灯りとなりました。

しかし、操業当初の電灯数はわずか434灯、送電戸数も電灯77戸と当時の盛岡市の世帯の80軒に1軒程度で、近代産業の担い手として自慢できるほどのものではありませんでした。

電気料金は、10燭光(約13ワットに相当)で1カ月55銭。他県と比べると安い料金でしたが、当時の物価(米10キロ約88銭、理髪店約15銭)と比較すると、庶民にとってはやはり高嶺の花であったことが分かります。

以後、盛岡電気株式会社は、「盛岡電気工業株式会社」と改称、更に1927年(昭和2年)の電気業界の整理・合併により「盛岡電灯株式会社」となり、1938年(昭和13年)には、秋田県域にも業務を拡大し「奥羽電灯株式会社」と改称しました。しかし、戦時体制下の1943年(昭和18年)には配電統制令により全ての電気会社は解散し、新設の「東北配電株式会社」に企業統合されました。

そして、戦後の1951年(昭和26年)、電力業界再編成により「東北電力株式会社」が誕生しました。現在、かつての盛岡電気株式会社の所在地には、東北電力株式会社岩手支店があります。

旧宇津野発電所 建物外観の写真
建物外観
旧宇津野発電所 発電設備の写真
内部発電設備
盛岡電気株式会社と清岡等社長(大正2年)の写真
盛岡電気株式会社と清岡等社長 大正2年
発電機銘板の写真
発電機銘板 ウエスチングハウス社
発電機増設後の施設内部の写真
発電機増設後の施設内部

一般公開について

令和5年6月1日(木曜日)から10月31日(火曜日)まで一般公開します。

建物内の見学を希望する場合は、歴史文化課へ連絡してください。

公開時間は9時30分から16時までとなります。

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