橋本 花 略歴

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広報ID1003385  更新日 平成28年8月21日 印刷 

略歴

1905年(明治38年)、青森県青森市生まれ。女子美術学校時代に早くも帝展で入選した。
昭和初頭、夫・橋本八百二と共に帝展に出品し、夫婦そろっての活躍が評判になる。透明感ある色彩の扱いと清涼な描写に定評がある。現在、橋本夫婦は八百二の故郷である岩手県紫波郡紫波町彦部にあるお寺の高台に眠っている。

  • 1905年(明治38年) 5月22日、青森県青森市に生まれる。
  • 1925年(大正14年) 第6回帝展に「風景」を出品、初入選。
  • 1928年(昭和3年) 女子美術学校西洋画科高等師範科を卒業し、千葉県大多喜高等女学校に勤める。
  • 1929年(昭和4年) 6月、岩手県出身の画家・橋本八百二と結婚する。
  • 1930年(昭和5年) 東京洋陽会主催で「橋本八百二・はな子洋画展覧会」が開催される。
  • 1932年(昭和7年) 第13回帝展で「樹下」が特選となり、政府が買上げる。
  • 1936年(昭和11年) 三岸節子、佐伯米子らと「七彩会」を結成。
  • 1937年(昭和12年) 第1回新文展に「秋晴」出品、無鑑査となる。
  • 1939年(昭和14年) 中国を遊歴。梅原龍三郎の紹介により北京で個展開催。
  • 1942年(昭和17年) 林芙美子と共に東南アジアを回る。
  • 1943年(昭和18年) 上野・松坂屋で「橋本はな子南方画展」を開催し、「ジャカルタの盛り場」、「バリ島の踊り子」等、ジャワ、ボルネオ、バリ島等の景観を描いた30数点を出品。
  • 1950年(昭和25年) 第9回創元会展に出品し、会員推挙となる。
  • 1959年(昭和34年) 銀座松坂屋画廊で「夕日の松島」、「花の中の仏像」等、東北の風景や花を中心とした作品29点を出品。
    以後、松坂屋での個展は1977年(昭和52年)までに14回開催される。
  • 1961年(昭和36年) サンパウロ日本文化会館の招きによりブラジル訪問、個展を開催し、1年間滞在する。
  • 1964年(昭和39年) 第7回新日展に「パリの裏街」を出品。
  • 1977年(昭和52年) 盛岡橋本美術館で開催された「岩手の作家自選展」に「ダリアのある風景」を出品する。
  • 1979年(昭和54年) 8月13日、夫の橋本八百二が76歳で死去。
  • 1983年(昭和58年) 8月22日、青森市の自宅で急逝。78歳。
  • 1987年(昭和62年) 岩手日報社の主催で「橋本花展」が盛岡第一画廊で開催される。
  • 1995年(平成7年) 仙台市・カメイ記念展示館で「東北の画家15人展」に「秋」が展示される。

財団法人盛岡市文化振興事業団 佐々木繁美氏の資料から引用

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