盛岡市の紹介

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広報ID1009292  更新日 平成29年8月4日 印刷 

ようこそもりおかへ

豊かな森に囲まれ、あふれ出る清らかな水に恵まれた盛岡。雄大な岩手山の裾野に広がるこの土地は、旧石器時代から人々が暮らし、生活の跡を残しています。縄文時代にはいくつもの集落が点在し、森や野原の恵みと海からの恵みが交わる交易地としてにぎわいが生まれました。
人々の暮らしに大きな変化が起きたのは平安時代です。803年(延暦22年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が北上川西岸に志波城を築き、新たな開拓の歴史は始まり、朝廷による東北経営の拠点となりました。
やがて、戦国時代になると、志和郡(紫波町)を拠点とする斯波氏と三戸(青森県三戸町)を拠点とする南部氏の二大勢力が覇権を争い、この戦いに勝利した南部家26代南部信直が、豊臣秀吉から岩手郡を含む7郡の本領を安堵され、盛岡藩が誕生しました。盛岡藩の2代藩主利直の時代に城下町の建設が大きく進展します。町割りは、城の周りに二重の外堀を巡らせ、上方や江戸から迎え入れた商人や職人が町を囲み、その外側に三戸から移ってきた武士の屋敷や寺院を配置したもので、新しい時代の軍事や商業、交通などに対応する環状市街地が形成されました。これが、現在でも盛岡の中心市街地の基本的な骨格となり、城下町の情緒と風格が「盛岡らしさ」として残っています。
その後、明治時代の廃藩置県により、盛岡藩は盛岡県、その後岩手県に変わりました。そして1889年(明治22年)の市町村制施行により、全国39都市の一つとして人口2万9190人、面積4.47平方キロメートルの県都盛岡市が誕生しました。
近年の盛岡市は、1989年(平成元年)に市制施行100周年を迎え、1992年(平成4年)4月には南に隣接する都南村と、2006年(平成18年)1月には北に隣接する玉山村と合併を果し、人口約30万人、面積886.47平方キロメートルの新生盛岡市となりました。また、2008年(平成20年)4月には中核市へと移行し、県から民生や保健衛生、環境、都市計画などの行政分野における事務の移譲を受け、新たなスタートを切り、現在に至っています。
今後も、さらに自立性を高め、新たな課題にも対処するため、健全な自治体経営を推進するとともに、北東北をリードし、要となる拠点都市としてさらなる発展を目指していきます。

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盛岡市役所
〒020-8530 岩手県盛岡市内丸12-2
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