米内光政(よないみつまさ)

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広報ID1025020  更新日 平成30年12月10日 印刷 

米内光政(1880年~1948年)

良識の提督として

米内光政(よないみつまさ)の写真

米内(よない)光政は1880年(明治13年)3月2日、旧盛岡藩士米内(よない)受政(ながまさ)の長男として三ッ割村(現盛岡市)に生まれた。
盛岡尋常中学校を(現:盛岡第一高等学校)へて海軍兵学校へ進み、卒業後海軍少尉に任官、日露戦争では海軍中尉として従軍した。後にロシアやポーランドなどヨーロッパに駐在し、その地の実情を直に見聞した。日本と他国とを冷静に見比べる米内(よない)の姿勢は、このころに培われたと言える。
1937年(昭和12年)、林内閣のもとで海軍大臣に就任し、海軍次官を務めた山本五十六(いそろく)とともに、陸軍の主張する三国同盟に反対し続けた。天皇の信頼も厚く、1940年(昭和15年)には岩手県出身者として3人目となる内閣総理大臣に就任している。しかし陸軍の反対にあい半年後に退任、米内(よない)が政治の表舞台から去るとともに日独伊三国同盟は締結され、日本は太平洋戦争へと突き進むこととなる。戦争末期には、小磯内閣のもとで副総理格として4期目の海軍大臣に就任し、一日でも早く戦争を終わらせるために尽力した。
終戦後も海軍大臣に留任しており、海軍省廃省の責任者として日本海軍の最期を見届けている。

掲載日:平成17年3月5日

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