深沢紅子(ふかざわこうこ)

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広報ID1025012  更新日 平成31年3月19日 印刷 

深沢紅子(1903年~1993年)

日本女流洋画家の草分け

深沢紅子(ふかざわこうこ)の写真

深沢紅子は1903年(明治36年)3月23日、盛岡市内丸にて四戸慈文、きぬの長女として生まれた。父慈文は文人肌であり、早くから紅子の絵を理解し、池田龍甫に絵を習わせたりした。
幼少より絵に親しんだ紅子は、盛岡高等女学校卒業後に上京し、女子美術学校へ入学した。はじめは日本画を学んだが、後には師の岡田三郎助(おかださぶろうすけ)の助けを得て西洋画科に転向した。1923年(大正12年)には「花」、「台の上の花」の2点が二科展に入選する。当時は女性の入選は珍しく、大きな話題となった。1927年(昭和2年)には和田三造主宰の日本標準色協会の設立に参加、1936年(昭和11年)に創立された一水会には当初より参加している。
戦後は夫の深沢省三とともに郷里盛岡に戻る。彼らは戦後の人心の荒廃を憂い、美術教育の必要を強く感じた。そのため岩手美術研究所や県立美術工芸学校の設立に関わり、子供たちのために図画教室を開催した。
晩年もその創作意欲は衰えることなく、夫省三とともに絵を描き続けた。
現在では彼女の作品を紹介するため、盛岡市紺屋町に深沢紅子野の花美術館が設置されている。

掲載日:平成16年10月25日

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