星川正甫(ほしかわせいほ)

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広報ID1025080  更新日 平成30年12月10日 印刷 

星川正甫(1805年~1880年)

郷土史家

星川正甫は1805年(文化2年)3月7日、盛岡藩士鴨沢恒褒の次男として生まれた。1822年(文政5年)、同藩士星川吉律の養子となり星川姓となる。はじめは栄蔵、のちには茂兵衛、忠平と名乗り、1860年(万延元年)10月に実名を正甫とする。字は吉壽、号に正輔、宕陽がある。
1823年(文政6年)の御使者番給仕を皮切りに、盛岡本御蔵奉行、大槌御山奉行、金山吟味役、田名部御山奉行、御勘定奉行、上田通御代官など盛岡藩内の役職を歴任した。1861年(文久元年)9月、正甫は盛岡藩士の諸家系図88巻の編輯を終えて藩主に奉った。これは『参考諸家系図』と呼ばれ、現在でも盛岡藩士の家系を調べる際の必須の書とされている。またその他にも『公国史』37巻、『盛岡砂子』6巻、『公国譚』1巻などの著作を残している。太田孝太郎はその業績に対し、“郷土史家としてはその上に出る人はいない”と称賛している。
明治以後は岩手県庁地理編輯掛、国史編輯兼務となり、「岩手県管轄地誌」の編纂にあたったが、1880年(明治13年)7月、病気により退職、同月16日に75歳の生涯を終えている。
正甫の性格は厳直温恭と言われている。1869年(明治2年)、盛岡藩の白石転封の時にも、64歳の老齢の身でありながら、南部利済の5女成姫とともに盛岡から白石へ移動している。

掲載日:平成18年3月10日

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