橋本八百二(はしもとやおじ)

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広報ID1025187  更新日 令和2年10月8日 印刷 

橋本八百二(1903年~1979年)

画家・橋本美術館創設者

橋本八百二(はしもとやおじ)の写真

橋本八百二は1903年(明治36年)4月21日、紫波郡日詰町(現:紫波町日詰)にて篤農家橋本善太、キンの4男として生まれた。日詰尋常高等小学校(現:紫波町立日詰小学校)のころに絵画の手ほどきを受け、盛岡農学校(現:岩手県立盛岡農業高等学校)を卒業して1年後に上京した。
川端画学校、東京美術学校(現:東京藝術学校)に在学した八百二は積極的に創作に打ち込み、新光洋画会展や塊樹社展などに出品、1926年(大正15年)には帝展に出品した「葱を配する静物」で初入選を果たす。その作風は展覧会ごとに変わると言われ、西洋美術の積極的な導入や、萬鉄五郎らの先輩画家の影響が見受けられる。しかしそこで八百二がテーマとしてこだわり続けたのは、労働者などの複数の人間を描く“群像”だった。1929年(昭和4年)には女流画家の原子はなと結婚、のちには自宅に橋本八百二研究室を設立し、夫婦で後進の指導にあたった。戦後は帰郷し、岩手県議会議員として政治家としても活躍、1957年(昭和32年)には岩手県議会議長となっている。1975年(昭和50年)には郷里の美術振興のために、盛岡市岩山に旧盛岡橋本美術館を創設した。
八百二は自身の考え方として、「政治は集約すると調和です。絵画も色と形の調和だし、人間社会だって調和の世界ですよ。」と述べている。

掲載日:平成20年4月25日

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