中嶋源蔵(なかじまげんぞう)

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広報ID1025006  更新日 平成30年12月10日 印刷 

中嶋源蔵(1829年~1868年)

勤皇の志士

中嶋源蔵(本名:常明(つねあき)、幼名:乙治(おとはる))は、中嶋定衛(さだえ)の長男として1829年(文政12年)5月19日、浅岸村(現:盛岡市浅岸)に生まれた。
盛岡藩中では使番、目付役を務め、1868年(慶応4年)には家老楢山佐渡らとともに、鳥羽・伏見の戦が終息したばかりの京都へと赴く。そこで薩長藩士を中心とした官軍兵士達の横暴な態度を見た佐渡は旧幕府側支持の決意を固めるが、勤皇の志の強い中嶋源蔵や目時隆之進らは異を唱える。彼らは何度か佐渡と膝を交えて討論をしたが、ついにその意見が入れられないと悟る。目時は長州藩邸へ走り、そして中嶋は自らの病の重さを感じ、同年6月8日切腹の道を選んだ。享年40歳であった。
中嶋は最後まで佐渡に反対し、その死を以って藩を導こうとした。佐渡から見れば政敵とも言えるが、盛岡藩の将来を思う心ゆえか、佐渡は中嶋の死を悼みその亡骸を丁重に埋葬した。
中嶋が切腹に用いた短刀は「道暁」、「月山源貞一」の2口であり、ともに盛岡市指定文化財となっている。

掲載日:平成16年12月10日

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