野辺地天馬(のべちてんま)

Xでポスト
フェイスブックでシェア

広報ID1025083  更新日 平成30年12月10日 印刷 

野辺地天馬(1885年~1965年)

宗教童話の世界に生きた人

野辺地天馬(のべちてんま)の写真

野辺地天馬(本名:三右衛門)は1885年(明治18年)1月17日、岩手県福岡町(現:二戸市)にて父野辺地嘉吉、母サクの長男として生まれた。1890年(明治23年)、父の郵便局勤務とともに盛岡市上衆小路へ転居、盛岡高等小学校(現:下橋中学校)をへて、1898年(明治31年)4月に盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)へ入学した。同級生には石川啄木や伊東圭一郎らがいた。
幼いころから近所の教会に出入りしていた野辺地は、1899年(明治32年)、洗礼を受ける。このことが彼の一生を決定した。
野辺地は盛岡中学校を中退した後、東京青山学院中学部へ入学、1904年(明治37年)には神保町にあった東京聖書学院に入学し、本格的にキリスト教を学ぶ。その後、岩手県土沢(現:花巻市)、伊豆、仙台、名古屋などで伝道するが、野辺地は次第に児童に対して伝道を行うことに専念するようになる。そのため、それまで所属していた東洋宣教会を離れ独立、雑誌「小光子」や「虹」、童話集『金の鈴』、『母を慕ひて』、伝記『ワシントン物語』、子供向け『旧約聖書』などの執筆活動を行った。戦後は東京聖書学院で講師(のち教授)として勤め、教学の普及にあたった。1965年(昭和40年)4月24日、死去。
野辺地は“児童をキリストへ”と標語を掲げ、他の団体に頼らず活動した。そのため当時としては珍しく、絵話を書いた紙を三脚に立て、それを子供たちに紙芝居のように見せながら伝道した。

掲載日:平成18年4月25日

よりよいウェブサイトにするために、このページにどのような問題点があったかをお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?




このページに関するお問い合わせ

教育委員会 歴史文化課
〒020-8532 盛岡市津志田14-37-2 盛岡市役所都南分庁舎3階
電話番号:019-639-9067 ファクス番号:019-639-9047
教育委員会 歴史文化課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。