宮昌太朗(みやしょうたろう)

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広報ID1025124  更新日 平成30年12月10日 印刷 

宮昌太朗(1913年~1968年)

南部鉄器クラフト界の先駆者

宮昌太朗(みやしょうたろう)の写真

宮昌太朗は1913年(大正2年)8月27日、盛岡市紺屋町にて宮鉄瓶店を営む南部鉄器の工人宮定吉、マツの長男として生まれた。宮は1931年(昭和6年)と1939年(昭和14年)の2度、国立仙台工芸指導所第二部金工に研究生として入所している。同所は“工芸の科学化、大衆化、輸出化”を標語として指導していた。
昭和6年に父定吉が亡くなったため、宮は弱冠18歳で家業を継いだ。岩手美術展、商工省指定第3部会彫刻展などに入選をするも、物資の統制のため、戦時中は思うように制作することができなかった。戦後は生活様式の変化などで鉄瓶自体の需要が落ち込むが、宮は南部鉄器にクラフトデザインを導入、箱書きされてしまわれるよりも愛されて使われる生活用品の制作を目指した。1956年(昭和31年)には日本デザイナークラフトマン協会(現:日本クラフトデザイン協会)の設立に参加、1963年(昭和38年)には同協会の理事に就任している。仙台工芸指導所出身で武蔵野美術大教授の芳武茂介は、宮の遺作展に寄せた文の中で“鉄器はいま、彼の先駆的業績で、国際的に日本を代表するデザインのひとつとなった”と評している。
宮は凝り性だった。展覧会に出品するため、池にナマズを飼い、一ヶ月間毎日観察した。眺めっぱなしでなかなか作品に手をつけず、周囲が心配する中、とうとう池の金魚はそのナマズに食べられてしまったという話も残っている。

掲載日:平成19年8月25日

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