小泉仁左衛門(9代)(こいずみにざえもん)

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広報ID1025017  更新日 平成30年12月10日 印刷 

小泉仁左衛門(9代)(1905年~1980年)

南部鉄器業界の指導者

小泉仁左衛門(こいずみにざえもん)9代の写真

小泉仁左衛門(本名:清一)は1905年(明治38年)2月24日、盛岡にて8代仁左衛門清信の長男として生まれた。小泉家は江戸時代から続く釜師であり、9代仁左衛門の名は1952年(昭和27年)に襲名している。
1930年(昭和5年)、東京美術学校鋳造科を卒業、その後郷里に戻り釜師となる。同年、帝国美術院第11回美術展第4部美術工芸の部に「談話室用の喫煙具」を出品、岩手県人としてはじめて入選している。昭和11年には盛岡工芸美術会を設立、砂子沢三郎や宮昌太朗らと共に作品会などを催している。
戦時中、南部鉄器業界は統制令のため、事実上の空白期間となり生産がストップしていた。戦後には生産が再開されたが、すぐに従来の木炭からガス、石油への燃料の切り替え、いわゆる燃料革命が起こり、日常生活における鉄製品の需要が激減、昭和30年代の前半には極度の売れ行き不振となった。
1947年(昭和22年)より南部鉄瓶組合の理事を務めていた小泉はその状況を打開すべく、“南部鉄器と言えば釜と鉄瓶”、という安直な考え方の打破を唱え、花器、灰皿、置物、すき焼きなべなど、一般消費者に対する製作を行うよう指導した。また従来の伝統技術に自分たちのオリジナルを加えた新しい鉄器の開発や販路拡大に努め、斜陽産業とまで言われていた状態から脱却させた。
1966年(昭和41年)には黄綬褒章を受章し、昭和46年には盛岡市市勢振興功労者として表彰、昭和50年には勲五等旭日章を受章している。

掲載日:平成17年2月25日

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