菊池武夫(きくちたけお)

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広報ID1025065  更新日 平成30年12月10日 印刷 

菊池武夫(1854年~1912年)

法学者・中央大学初代学長

菊池武夫(きくちたけお)の写真

菊池武夫は1854年(嘉永7年)7月28日、岩手郡外加賀野村(現:盛岡市加賀野)にて、盛岡藩士菊池長閑、茂の長男として生まれた。武夫の名は元服の際に作人館教授江幡五郎によって名づけられた。
明治初期には、薩摩や長州の若い藩士や華族を中心に多くの留学生が欧米に渡った。しかし、その費用の大半は公費であり、また留学生の中には遊んでばかりいる者もいたため、早急に対策が必要だった。明治政府は留学生の見直しを図り、1875年(明治8年)、「文部省貸費留学生規則」を公布した。この規則により、留学生には外国での勉強に堪えるだけの語学力や、高等教育についていけるだけの能力が求められるようになる。菊池は第一回貸費留学生として米国ボストン大学法学校へ留学した。同じ留学生としては、後の日露戦争講和談判全権大使小村寿太郎や法学者鳩山(三浦)和夫もいた。帰国後は司法省に出仕し司法大臣秘書官や民法草案編纂委員を歴任、後には独立して代言人(弁護士)として事務所をかまえている。
菊池は英米の法学を学んだ者として、1885年(明治18年)に10数人の仲間とともに英吉利法学校を設立した。この学校は現在の中央大学であり、創立より多くの弁護士を世に送り出している。

掲載日:平成17年7月25日

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