葛西萬司(かさいまんじ)

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広報ID1025089  更新日 平成30年12月10日 印刷 

葛西萬司(1863年~1942年)

近代建築の設計家

葛西萬司(かさいまんじ)の写真

葛西萬司は1863年(文久3年)7月21日、盛岡上衆小路(現:盛岡市下ノ橋町)にて盛岡藩士鴨澤舎の次男として生まれた。盛岡藩士であり、のちに岩手銀行頭取となる葛西重雄の養子となり葛西姓を名乗る。
12歳で上京した後、慶応義塾、第一高等中学校をへて、1890年(明治23年)、帝国大学工科大学造家学科を卒業した。同年、日本銀行建築科へ技師として就職、そこで辰野金吾とともに建築の仕事に従事した。1903年(明治36年)8月、辰野とともに辰野葛西建築事務所を開設する。当時、日本には建築事務所と言えるものはほとんどなく、大阪の辰野片岡事務所とともにその先駆けとなった。同事務所が手掛けた建築には商店や学校などがあり、件数も90件を越えている。その中には、現在国指定重要文化財に指定されている岩手銀行中ノ橋支店(旧:盛岡銀行本店)も含まれている。1915年(大正4年)2月には、工学博士会の推薦により工学博士の学位を授けられた。1919年(大正8年)、ともに事務所を経営した恩師辰野金吾が亡くなるが、葛西は建築事務所を営みながら後進を育成した。
葛西の人柄は“寡言にして沈着、何を考えられても着実で、人に接するに親切丁寧であった”と言われており、怒りっぽかった辰野とは対称的であった。辰野も葛西に対してだけは怒ることはできなかった。

掲載日:平成18年7月25日

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