菊池金吾(きくちきんご)

Xでポスト
フェイスブックでシェア

広報ID1025092  更新日 平成30年12月10日 印刷 

菊池金吾(1812年~1893年)

機織業の先駆者

菊池金吾(きくちきんご)の写真

菊池金吾は1812年(文化9年)9月9日、稗貫郡亀ヶ森村(現:花巻市大迫町)にて盛岡藩士藤枝宮内家臣菊池弥兵衛、セキの3男として生まれた。父弥兵衛は金吾を医者にしようと、紫波郡郡山(現:紫波町)に住む木村某という医師に預けたが、数日で脱走、実家に帰っている。
1826年(文政9年)、盛岡に出て加判役花輪伊豆に仕えた。のち大石家に養子に入り、大石金吾と名乗る。このころ上下の信頼を得て、1840年(天保11年)12月には日詰御蔵奉行となった。その後、勘定奉行、金山御用掛、軍艦製造御用掛を歴任、1852年(嘉永5年)6月には100石を給せられ、菊池氏に復している。しかし、金吾を抜擢した南部利済の失脚とともに蟄居を命じられ、以後明治元年まで幽閉され、藩の公務から遠ざかった。その間に佐藤清右衛門とともに家産の利殖を図っている。
1873年(明治6年)1月、県令島維精とともに地元の殖産興業を図るため、中の橋際に機業場の開設を計画、同年12月に設置した。ここで盛岡藩士の子弟たちに機業技術を習得させた。また1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇の東北御巡幸の際には、金吾の私邸が行在所となり天皇陛下が泊まっている。この屋敷の庭園は「賜松園(ししょうえん)」と呼ばれ、現在は杜陵老人福祉センターの庭園として、盛岡市肴町に残されている。

掲載日:平成18年9月10日

よりよいウェブサイトにするために、このページにどのような問題点があったかをお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?




このページに関するお問い合わせ

教育委員会 歴史文化課
〒020-8532 盛岡市津志田14-37-2 盛岡市役所都南分庁舎3階
電話番号:019-639-9067 ファクス番号:019-639-9047
教育委員会 歴史文化課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。