盛岡市指定文化財 彦御蔵

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広報ID1009364  更新日 平成28年8月21日 印刷 

彦御蔵の写真

指定・区分

盛岡市指定 有形文化財(建造物)

名称・員数

彦御蔵(ひこおくら)

所在地

内丸 史跡盛岡城跡内

保存団体名

盛岡市

指定年月日

2011年(平成23年)3月24日

概要

建物の経緯

当建物は、江戸時代に「彦御蔵」と呼ばれた、旧盛岡城の土蔵である。平成元年(1989年)3月まで、現在地から西100メートルの地点の市道「下ノ橋更の沢線」西側に存在していたが、同年(1989年)3月、道路拡幅に伴い、都市整備部公園みどり課が主管課となり、現在の位置へ曳家された。建築年代は建物地下の発掘調査成果などから、江戸時代後期と考えられるが、詳細な建築年は不明である。

建物の概要

木造2階建(土蔵造り)。外壁は漆喰塗り仕上げであるが、内壁は土塗りの返しをせず、間柱間に溝を入れ板材を落し込んだ横嵌めとしている。屋根は野地板の上に土を塗り込め、その上に雨凌ぎの切妻の屋根を架けた置屋根構造である。平成4年(1992年)から5年(1993年)にかけて、屋根が瓦葺に葺き替えられた(元瓦葺であったものを、昭和57年(1982年)頃にカラートタン瓦棒葺に葺き替えられていた)。出入口には漆喰塗りの両開き戸と、内側に片引き板戸が2枚設けられている。その中で、外側の板戸外面には漆喰が塗られている。窓は外側に銅板張りの片開き戸が入り、内側に順に金網張り鉄格子、片引きの板戸となっている。更に内側には敷鴨居に溝が一本残っているが、片引きの紙張り障子が入っていたと思われる。
この蔵は1つの蔵を、桁行5間のところで上下ともに2つに仕切り、別々の使いかたをした道具蔵と思われる。したがって入口も階段も各々ある。現在は、2階の仕切りは撤去され1室となっている。2階への揚げ降ろしには、2階床の一部を取り除き、綱で引っ張り上げた跡が残っている。
柱、床等に柄穴などの痕跡が認められ、壁面2方に物入れがあったようである。しかし、それは創建当時からのものか、後世手を加え、それから取り外したのか定かでない。
棟持の中柱は500ミリ角の八角形であり、明治橋際の御蔵や木津屋のものと同類型である。2階の大梁も小屋の丑梁も野太く豪壮なもので、両妻とも天秤梁で受けている。
床組は、大引と根太仕口が弱ったためか、補強を入れたり、床束を足したりしている跡が見られる。使われている釘はすべて和釘である。
この土蔵は、盛岡城の建造物として、城内に残っている唯一の建造物である。

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