盛岡城跡 城の変遷

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広報ID1009472  更新日 平成29年12月22日 印刷 

  • 指定・区分:国指定 記念物(史跡)
  • 名称・員数:盛岡城跡(もりおかじょうあと)
  • 所在地:盛岡市内丸1 岩手公園
  • 所有者・管理者名:盛岡市
  • 指定年月日:1937年(昭和12年)4月17日

城の変遷

盛岡城の石垣を解体し、発掘調査することにより、城の移り変わりがよくわかります。

戦国時代の不来方城(こずかたじょうあと)(不来方城1・2期)は、丘陵を切り盛りして平坦地や空堀(からぼり)・土塁(どるい)を廻らせた土の城で、建物はほとんどが板葺き・茅葺きの屋根でした。

最初の盛岡城1期は、不来方城の堀を埋め、平坦地を拡張して築かれました。頂上の本丸・二の丸の一部には石垣が積まれ、瓦茸きの櫓(やぐら)などもありましたが、中腹の腰曲輪(こしくるわ)や二の丸西側・三の丸などは土手のままで、周囲に木柵が廻っていました。腰曲輪が石垣になるのは盛岡城2期の段階で、このとき本丸石垣も積み直され、双鶴(向鶴)紋の瓦が葺かれます。しかし間もなく、本丸の三重櫓などが落雷で焼失しました。これらの建物は1674年(延宝2年)より再建が始まりますが、ほぼ同時期に、二の丸西側も北上川の川筋が切り替えられ、1686年(貞享3年)にかけて高い石垣が築かれます。これが盛岡城3期で、この時期から主要な櫓などには、赤瓦が葺かれるようになります。

江戸時代前期の盛岡城絵図(もりおか歴史文化館蔵)

盛岡城2期(菜園側がまだ土手の時代)

江戸時代前期の盛岡城絵図

江戸時代中期の盛岡城図(もりおか歴史文化館蔵)

盛岡城3期

江戸時代中期盛岡城図

盛岡城の瓦の変遷

盛岡城瓦変遷図

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