盛岡城跡 石垣の美
広報ID1009474 更新日 平成29年12月22日 印刷
- 指定・区分:国指定 記念物(史跡)
- 名称・員数:盛岡城跡(もりおかじょうあと)
- 所在地:盛岡市内丸1 岩手公園
- 所有者・管理者名:盛岡市
- 指定年月日:1937年(昭和12年)4月17日
石垣の美
本丸東側石垣
花崗岩(かこうがん)の野面石(のづらいし)(自然石)を多く用い、割石(わりいし)は角石(すみいし)など、一部に使用されています。盛岡城で最も古い、築城当初の慶長年間(1596年から1614年)の石垣と考えられます。本丸南西部や北東部では、発掘調査で現在の石垣の中に埋もれた築城当初の石垣が確認されています。他に二の丸の廊下橋(ろうかばし)下や、不明門(あかずのもん)の西側などに、古い石垣をみることができます。
腰曲輪石垣
花崗岩を粗く分割した割石を、力強く積んでいます。割石には分割時の矢穴(やあな)(クサビを打込む穴)が残ります。元和から寛永年間初期(1615年から1620年代)の石垣で、同じ石垣は本丸の北半分と南東部、それに三の丸の北側を除いた部分などにみられます。
二の丸西側石垣
北上川の川筋を切替えた後に積まれ、「貞享三年(1686年)三月吉日」の普請奉行銘(ふしんぶぎょうめい)を残す石垣です。規則正しく四角形に加工された、奥行の長い石材を用いています。石垣の稜線には美しい反りがあり、急勾配に高く積み上げられています。角石は鑿(のみ)で整形されて、石材を切組んだ箇所がみられます。
三の丸北側石垣
元和から寛永年間初期(1615年から1620年代)に積まれた石垣が地震で破損して積み替えられ石垣と考えられ、「宝永二年(1705年)九月二日」の普請奉行銘を残します。二の丸より大きな横長の長方形の石材で積み上げ、角石は鑿で整形され、石材どうしで切組んだ箇所が見られます。
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