神楽

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広報ID1022412  更新日 令和3年12月13日 印刷 

盛岡の神楽

盛岡にはさまざまな種類の神楽が伝えられていますが、一番多いのは山の信仰にかかわってきた山伏神楽です。


写真
大ヶ生山伏神楽保存会

岩手県の主な山のうち、岩手山と姫神山、早池峰山は合わせて「岩手三山」と呼ばれています。かつてそれぞれのふもとでは、山伏たちによる神楽が行われていました。明治維新により修験道が廃止された後は、山伏の子孫や里人によって継承されてきています。盛岡市では八ツ口神楽、大ヶ生山伏神楽、玉山神楽、藪川神楽、日戸神楽、松内神楽が山伏神楽です。同じ山伏神楽でも、花巻市の早池峰神楽などとは違った特色を持っています。


一方、大宮神楽は神職が行う神楽=社風(みやぶり)神楽を伝承しています。しかし舞い方や演目を見ると山伏神楽との関わりが深い事がわかります。

城下に会った神明(しんめい)神楽を受け継いでいるのは見前神楽です。山伏神楽を能ふうに改めた演目や装束があります。

また現在は活動していない多賀神楽は、時の藩主南部利敬が、神楽人を江戸に派遣して習得させた江戸里神楽を演じるものでした。さらに巻堀神楽は、江戸里神楽を取り入れる以前の多賀神楽(地神楽)の面影を残していると言われています。

神楽豆知識

岩手山と姫神山

大昔から人々はふるさとの山を敬い、神様として考えてきました。これを山岳信仰と言います。岩手山は「岩鷲山」とも呼ばれ、広い範囲で信仰を集めていました。藩政期には、岩手山の3ヵ所の登山口を山伏や神職が支配し、姫神山のふもとには山伏の霊場があって、それぞれ神楽が行われてきました。しかし明治2年(1869)に修験道が廃止になると、神楽は修験山伏や神職の手を離れて里人にゆだねられるようになります。その後戦争や都市化などの影響を受けながら、今も神楽を始めとする民俗芸能が受け継がれているのは、「ここにしかないものを大切にしよう」とする人々の努力によるものです。

権現様(ごんげんさま)

イラスト:権現様
〈権現様〉

盛岡の神楽のほとんどは山伏神楽で、獅子頭をご神体と考え、「権現様」と呼んで大切にしてきました。「権現様」では、下舞の後、権現様を持って幕をかぶると、お散供(オサゴ=米のこと)やお神酒などの供物を受け、これを祝います。参拝者の頭を噛む「身固め」(「頭かじり」などとも言う)によって、災いを遠ざけご加護を与えます。

山の神

イラスト:山の神
〈山の神〉

どの神楽でも大切にしている舞に「山の神舞」があります。山の神は山を司るだけでなく、春には里に降りて来て田の神となります。農業のほか、林業、猟師、漁業にたずさわる人々からも篤い信仰のある神楽です。

「山の神舞」の一般的な順序は、まじないの法刀をもって四方を鎮め、お散供=米を撒いて豊作を祈り、太刀をとって悪魔を祓います。面をはずしてから山の神の由来を語り、最後に幣束を持って舞い納めます。


神楽の指定文化財保持団体

岩手県指定無形民俗文化財(全1団体)

盛岡市指定無形民俗文化財(全9団体)


出典:盛岡の民俗芸能「神楽」(作成:盛岡市無形民俗文化財保存連絡協議会)

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