奥田松五郎(おくだまつごろう)

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広報ID1025062  更新日 平成30年12月10日 印刷 

奥田松五郎(1854年~1931年)

岩手柔道界の育成者

奥田松五郎(おくだまつごろう)の写真

奥田松五郎(旧名義次)は1854年(嘉永7年)6月14日、徳川家家臣奥田萬吉の長男として生まれた。父萬吉は福野流柔術の達人であり、奥田も幼いころから柔術をはじめとした武道を学んだ。
来盛したのは1893年(明治26年)、時の岩手県知事服部一三の招聘によると言われている。翌年には岩手県巡査を拝命し、県の警察官に柔道を指導、後には岩手師範学校、盛岡中学校などでも柔道師範を務めている。1901年(明治34年)10月には、本格的に柔道を指導するため道場建設趣旨書を作成し、盛岡市油町(現:本町通一丁目)に「泛虚館(はんきょかん)」と名付けた道場を建てた。この道場からは、後の岩手県柔道界を担う多くの人材が排出している。
奥田は自分の流派として「奥田流柔術」を編み出した。これは父萬吉より学んだ福田流や、知人から学んだ起倒流、天神真楊流などから特色を取り入れており、組み打ちによる投げなどが主体だった。
また奥田は、常に和服に袴をつけて下駄を鳴らして飄々としており、“奥田さん”と呼ばれ、多くの盛岡市民や子供たちに親しまれた。

掲載日:平成17年6月10日

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