小田島孤舟(おだしまこしゅう)
広報ID1025071 更新日 平成30年12月10日 印刷
小田島孤舟(1884年~1955年)
岩手歌壇の育成者
小田島孤舟(本名:理平治(りへいじ))は1884年(明治17年)3月1日、和賀郡小山田村(現:花巻市)にて佐々木金太郎、りきの次男として生まれた。小田島姓となるのは、1906年(明治39年)、浄法寺の小田島魚次郎長女サキと結婚してからである。
孤舟は72年の生涯で実に、短歌3,800余首、歌集15編、著書7冊を遺している。また、浄法寺尋常高等小学校校長を勤め、盛岡高等女学校(現:県立盛岡第二高等学校)、盛岡女子商業学校(現:盛岡市立高等学校)、岩手女子高等学校などに奉職した教育者であり、端麗、清雅な書風を持つ書家でもあった。
一方、自ら歌人として立つばかりではなく、詩歌誌「曠野(こうや)」の発行、歌誌「ぬはり」「みちのく」「岩手歌人」などの育成、さらに「杉風(さんぷう)」「きたかみ」「岩手アララギ」の各短歌会の指導など、明治、大正、昭和の三代にわたって岩手歌壇の育成と確立に努め、“岩手歌壇の父”とも言われている。
われひとり よのつねびとの みちこえて しづかにゆかむ さびしかれども
これは孤舟が47歳のときに詠んだ歌であり、門下生たちが1933年(昭和8年)4月、孤舟の生誕50周年を記念して、盛岡市の高松池畔神庭山(しんていざん)に建てた歌碑に刻まれている。
掲載日:平成17年10月25日
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