上田常隆(うえだつねたか)
広報ID1025229 更新日 平成30年12月17日 印刷
上田常隆(1900年~1980年)
毎日新聞社社長
上田常隆は1900年(明治33年)7月4日、大阪市北区網島町(現:都島区網島町)の原敬別邸にて帝国商業銀行大阪支店に勤務していた上田常記(つねき)と原敬の姪エイの長男として生まれた。大阪府立天王寺中学校(現:大阪府立天王寺高等学校)、佐賀高等学校をへて、1926年(大正15年)に京都帝国大学法学部を卒業した。
同じ年に大阪毎日新聞社の営業局見習員となり、翌年社員に登用され販売部勤務となった。大叔父である原敬は同社の3代目社長を務めたが、常隆もまた1961年(昭和36年)に第9代社長に就任し1968年(昭和43年)まで務めた。さらに1964年(昭和39年)には日本新聞協会会長となり、自社のみならず日本の新聞界の発展に貢献した。一方、日本社会人野球協会会長、アジア救ライ協会理事長、日本ユース・ホステル協会会長、青少年育成国民会議会長など、社長在任中から退任後逝去するまで数多くの団体の役員に名を連ねており、社会公共事業にも尽力した。
祖父上田常明は旧盛岡藩士であり、維新後は鵜飼村(現:滝沢市)の戸長を務めた。そのため、大阪で生まれ育った常隆は、岩手に住んだことがないにもかかわらず、その本籍は岩手郡滝沢村(現:滝沢市)であった。またそれ以上に常隆は岩手を愛し、“私は岩手県人である”と常に述べていた。在京岩手学生会会長、岩手県総合開発審議会会長、岩手県人連合会初代会長などを歴任、県出身者の連帯を図り、地位向上に努めたことからもそのことがわかる。また1965年(昭和40年)、毎日新聞社東京本社の新社屋落成を機に、300冊以上の書籍を当時の滝沢村に寄贈した。これは上田文庫として現在も利用されている。村の発展に貢献し、その名誉を高めたとして、1968年(昭和43年)には滝沢村第一号名誉村民となった。
1970年(昭和45年)には勲一等瑞宝章を授与され、1980年(昭和55年)10月14日、数え年81歳でこの世を去った。
掲載日:平成21年12月10日
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