石川金次郎(いしかわきんじろう)
広報ID1025081 更新日 平成30年12月10日 印刷
石川金次郎(1897年~1953年)
社会運動家
石川金次郎は1897年(明治30年)1月14日、岩手郡玉山村大字日戸(ひのと)(現:盛岡市日戸(ひのと))にて石川徳次郎、ヨシの長男として生まれた。1914年(大正3年)3月、岩手県立工業学校を卒業し、横須賀の海軍工廠(こうしょう)に就職した。このころに大杉栄や堺利彦の著作に触れ、近代社会思想に目覚めている。
のち故郷に戻った金次郎は1919年(大正8年)、社会思想研究団体「牧民会(ぼくみんかい)」を結成する。これは読書会的な性格の強かった「黎明会」の発展したもので、本格的な社会主義思想の研究が行われた。メンバーには、実弟の石川準十郎や吉田徳治(孤羊)、横田忠夫(横田チエの夫)らがいた。また1932年(昭和7年)には独学で司法試験に合格、翌年の1月に弁護士として開業した。同年6月には盛岡銀行清算人に選任され、1941年(昭和16年)までその業務を遂行している。
金次郎は政治家として、1929年(昭和4年)より盛岡市議会議員として連続4期勤めた。また戦後の1946年(昭和21年)には日本社会党所属で衆議院議員に当選、1953年(昭和28年)3月24日に亡くなるまで議員であり続けた。
金次郎の人柄は郷里の人々に愛された。次男克二郎氏も弁護士を勤めたが、“私がこれまで大過なく仕事が出来たのは、父に対する世間の信用が生きていたお蔭であり、これは金銭に換えられない貴重な遺産であった”と書き残している。
掲載日:平成18年3月25日
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