盛岡の保護庭園

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広報ID1010433  更新日 令和5年6月14日 印刷 

保護庭園 盛岡市は、盛岡市の歴史と共に生き続けた由緒、由来がある庭園を選定し、「保護庭園」として指定しています。現在7件の保護庭園が指定され表示板が設置されています。

保護庭園
指定番号 名称 所在地 指定年月日 面積 摘要
3 賜松園 盛岡市南大通一丁目7番5号 1972年(昭和47年)11月25日 1200平方メートル 公開
4 老梅園 盛岡市大慈寺町7番18号 1972年(昭和47年)11月25日 1400平方メートル 非公開
6 武田邸 盛岡市長田町19番1号 1972年(昭和47年)11月25日 2000平方メートル 公開
7 小泉邸 盛岡市馬場町5番33号 1973年(昭和48年)2月1日 500平方メートル 非公開
8 下田邸 盛岡市前九年一丁目4番14号 1974年(昭和49年)2月1日 4700平方メートル 非公開
9 一ノ倉邸 盛岡市安倍館町19番64号 1974年(昭和49年)2月1日 8600平方メートル 公開
10 南昌荘 盛岡市清水町13番46号 2000年(平成12年)5月16日 2300平方メートル 公開

 ※指定番号1・2・5は指定廃止により欠番。

賜松園(ししょうえん)

  • 指定番号:3
  • 所在地:盛岡市南大通7番5号
  • 庭園面積:約1200平方メートル
  • 指定年月日:1972年(昭和47年)11月25日
  • 庭園様式:池泉回遊式庭園

地割

主庭は建物からの奥行き3分の2ぐらいのところに東→北→南西方向に広がる池をうがち、その東端は滝口風の水口となって、それから流れを経て池になっています。
池の対岸東寄りに築山を配して、ここに庭の中心を置き、その対角線にあたる南西隅一帯はウメ、サクラの樹林としているなど、その配置は巧みです。
建物からの正面右寄りは、かつて借景的扱いをしていたものと思われます。
市内には池泉回遊式庭園は多い中にあって、この庭はひときわ優れているといわれています。

施行

作庭年代が古い割に、後補と思われるもの(シダレカツラ、アオギリ)が比較的少なく、古い作庭の面影をよく残しています。植栽、石組、各局部の取扱は巧みです。
池の付近は宅地化で水を失い、池底には簗川青玉石を敷いていますが、これは後から補なったものです。

材料

石材

飛石、捨石、灯籠共に優れています。
灯籠は、春日型2、雪見型1、山灯灯籠1、置灯籠1(原敬愛用といわれている)

植栽

池畔のイチイ、サツキの刈込のほか、築山上に立つエドヒガンの古木は優品です。東側の隅に立つイチョウも強調材料として効果を上げています。また、南西隅のウメ、サクラはアクセントとして効果を成しています。

造園年代・作者など

この庭園は明治維新後のことしか詳しく分かっていませんが、維新前までは花輪という武士の屋敷であったといわれています。1868年(明治初年)、菊池金吾の所有となりました。
「賜松園」という名の由来については、この建物が明治天皇御光臨のおりに宿舎にあてられ、庭の松が「見馴れの松」と名付けられたのですが、1884年(明治17年)11月盛岡の大火でこの見馴れの松が焼けたため、後に陛下より3本を賜ったことから、このように呼ばれるようになりました。
エドヒガンの樹齢からして、江戸中期頃の作庭と推定されます。

老梅園(ろうばいえん) 非公開

  • 指定番号:4
  • 所在地:盛岡市大慈寺町7番18号
  • 庭園面積:約1400平方メートル
  • 指定年月日:1972年(昭和47年)11月25日
  • 庭園様式:池泉築山回遊式庭園

地割

池泉回遊式庭園の多い中にあって、異色のある地割を持つ優れた庭園です。
盛岡市の地形的特色である河成段丘地形を巧みに利用した自然風の庭園で、庭は建物の南西部にあります。建物のある段丘面に続く部分が上段の庭で、その南西側の下の部分に池をうがち、上段の庭の浅い池と水路(流水)をもって連絡しています。
玄関前は段丘崖を緩い斜路として見事なアプローチを形成しています。主庭に付属する茶室周辺には露地として造成されたものはなく、玄関横からの部分が露地的役割をなしています。

施行

地形を巧みに利用し、主庭からの観賞を考慮に入れた手法は巧みです。市内のビル建設によって下段の池に近い湧水は枯れ、今は上・下とも水はありませんが、無駄のない行き届いた施行です。

材料

石材・植物についても誇張がなく、いずれも良いものを用いている点では賜松園と共に市内では有数と言えます。玄関アプローチのサツキ刈込、これに続く真の飛石は、桂離宮を模したといわれています。
樹木ではコウヤマキ、イトヒバのほか、モミジ、チョウセンゴヨウ、サワラに優れたものがあります。
灯籠は変形春日型、茶室前の置灯籠が据えられています。

造園年代・作者など

盛岡市内の庭園のうちでは最も由緒のあるものといわれています。
今から約280年前の1722年(享保7年) 第32代南部利幹公の時代に造られたもので、当時桜山にあった南部家の菩提所聖寿寺の第9代逸彦米禅師が隠居したとき、南部公が蓬莱造りの庭園と書院造りの茶室を造って贈りました。禅師はここに隠居して『老梅園』と号したといわれています。

所見

ここの建物の東南部に『表千家不審庵残月亭』写しの間があり、その写しは京都のそれにきわめて忠実で、文化財的価値が高いとされています。
なお、京都の『残月亭』は、『不審庵』とともに表千家の中心的茶席です。

武田邸(たけだてい)

  • 指定番号:6
  • 所在地:盛岡市長田町19番1号
  • 庭園面積:約2000平方メートル
  • 指定年月日:1972年(昭和47年)11月25日
  • 庭園様式:池泉築山回遊式庭園

地割

玄関まわり・主庭という地割で、主庭は建物の南側に位置します。
主庭は、「中心より東寄りに位置する池泉とその対岸の一部ある築山」という、市内の池泉回遊式庭園の様式に近いが、池泉が大きく明るい庭です。
庭の東隅の一部に茶室、雪隠、露地を配し、ここから西寄りの野立ての小広場を用意してあります。

施行

当初の作庭から所有者が変わるたびに手を入れて補ってきているものの馴染んだ形で残されています。
局部としては、玄関前の「つくばい」、建物南側の手洗鉢などが優れています。

材料

石材・植物などは一般的に無難で、後補といわれている池畔のサツキ・イチイの刈込は、良く馴染んでいます。
この地方として珍しいものにヒメカカラ(サルトリイバラに似てごく小型)、ナツツバキがあります。

造園年代・作者など

1868年(明治初年)の頃、川目末松の作庭とされていますが、基本的作庭は江戸末期の頃と推定されます。

小泉邸(こいずみてい)  非公開

  • 指定番号:7
  • 所在地:盛岡市馬場町5番33号
  • 庭園面積:約500平方メートル
  • 指定年月日:1973年(昭和48年)2月1日
  • 庭園様式:池泉築山回遊式庭園

地割

主庭と裏庭とからなり、建物の東側の部分で連絡しています。
共に小型の築山を持つ池泉回遊式庭園で、主庭の方は枯池ですが、裏庭の池には水がありました。
裏庭の築山は石組が主体で回遊できるようになっていますが、座敷からの観賞が主体であったと思われます。
東隅に近い所に浅井戸と思われる凹地があり、池に連絡していますが、これは当初の造庭が破損したものと思われます。
表・裏ともせまい土地を巧みに利用して、自然風の味を出し、奥行きを感じさせる手法は巧みです。

施行

石組は表・裏ともによくできており、特に裏庭の築山石組などは古風な手法で、地割も含めて作庭年代の差を感じさせます。
植栽や、主庭門近くに小型春日灯籠を配したあたりは巧みな手法であり、狭いながら非常にまとまりのある庭園です。

材料

特に優れた材料を用いているわけではありませんが、配置、組み合わせによってまとめている点が優れているといわれています。

灯籠

置灯籠2、五重塔1、小型春日1

植栽

モミ、コウヤマキ、チョウセンゴヨウ、アカマツ、モミジ及びイチイ、サツキ刈込が効いている。

造園年代・作者など

明治末期に内田徳太郎作庭といわれますが、それ以前の江戸中~末期のころ武家屋敷の庭として作庭されたものが再整備されたものと思われます。

下田邸(しもだてい) 非公開

  • 指定番号:8
  • 所在地:盛岡市前九年一丁目19番64号
  • 庭園面積:約4700平方メートル
  • 指定年月日:1974年(昭和49年)2月1日
  • 庭園様式:池泉回遊式庭園

都市の緑地に準ずる機能

庭園内の樹木は自然林的林況をなし、リスの生息が見られるほど。
樹種としては、ケヤキ、カキ、クリ、モミジ、サワラ、イチイ、イチョウ、トチノキ、ホホノキ、キタゴヨウ、スギ、ハリギリ、チョウセンゴヨウ、ニセアカシヤ、クリ等が植えられています。

庭園の特徴

南部家家老職の屋敷跡内のこの庭園は、江戸中期以降に造られたもののようで、現在は自然林的な林況を呈しています。
当時は北から西にかけて流れを持つ池泉をうがった回遊式庭園であった模様。池及び南西側の築山とその付近に散在する石により、当時の面影が偲ばれます。
園内にリスが生息し、市街地内の樹林としては希少価値が高いとされています。

一ノ倉邸(いちのくらてい)

  • 指定番号:9
  • 所在地:盛岡市安倍館町19番64号
  • 庭園面積:約6500平方メートル
  • 指定年月日:1974年(昭和49年)2月1日
  • 庭園様式:池泉回遊式型

地割

当時はこの屋敷は四周に濠をめぐらし、土堤で囲んでいたものと思われる遺構が残存しています。
建物の西から南に3個の中島を持つかなり大きい池(心字型)を中心にした庭で、一部に築山を配した回遊式庭園です。
細工を施さない自然そのままの木々が配置されている様が、雄大さを感じさせています。

材料

京都高尾山から運んだとされる数百本のモミジ類を主体にし、これにアカマツなど針葉樹を若干加えた植栽となっており、秋になると樹齢80年~90年以上のモミジが紅一色に包まれて、火の燃えさかるような光景を呈しています。

造園年代・作者など

1902年から1903年(明治35年~36年)頃、阿部浩(阿部貞任の子孫といわれています。東京府知事)が東京から庭師を招いて造庭したとされています。

南昌荘(なんしょうそう)

  • 指定番号:10
  • 所在地:盛岡市清水町144番地1
  • 庭園面積:約2300平方メートル
  • 指定年月日:2000年(平成12年)5月16日
  • 庭園様式:池泉回遊式庭園

地割

建物の南側の河成段丘(低い)を利用したもので、今は枯渇していますが、段丘崖の崖麓に湧く2箇所の湧水を基礎にして池の形を決定しています。
池は庭園面積の3分の1を占め、市内の池を持つ庭園のうちでは最も大きく深い池であり、形は変化回遊式庭園としては市内第一です。
また、市内に多く見られる池泉回遊式庭園の千編一律な地割計画に比べて異色があり、この点からも、きわめて優れた庭園といえます。

施行

池泉岩組の一部に破損が認められますが、石組、配植は優れています。

材料

樹種はモミジとサワラが主体ですが、庭内には樹齢50年以上の老木が林立しており、市街地の緑地として貴重なものとなっています。
庭園内のアオギリは県内有数の幹の太さを示し、珍奇種として貴重だとされています。
また、アカマツ、モミ、フジ、シダレカツラなどのように独立した庭木として好ましい形態を示すものが多く残ります。

造園年代・作者など

現在の邸宅は1885年(明治18年)の建設とされていますが、南昌荘の屋敷名は後年新渡戸仙岳の命名によります。
庭園部分は、1868年(明治初年)ごろ、瀬川安五郎所有時代に、阿部仁太郎(大清水多賀の庭園を作庭した阿部長太郎の父)と川目末松の2名の手で作庭。一部は東京の庭師に造らせたという説もあります。 
作庭年代は、1877年から1887年(明治10年から明治20年)の間と推定されます。
その後、屋敷の所有者は大矢馬太郎、金田一国土、赤沢多兵衛と変遷しましたが、卓越した技術を持つ庭師三代の藤村治太郎・益治郎・典哉(現在有限会社豊香園)らの協力を得て、おおむね作庭当初の姿を保持しつつ、現在のいわて生協協同組合の管理下に移行しました。

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