柴内魁三(しばないかいぞう)

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広報ID1025068  更新日 平成30年12月10日 印刷 

柴内魁三(1879年~1966年)

身体障害者教育の父

柴内魁三(しばないかいぞう)の写真

柴内魁三は1879年(明治12年)9月10日、盛岡大沢川原小路にて、岩手県巡査を勤めていた柴内孝造、マセの長男として生まれた。南岩手高等小学校(現:下橋中学校)、盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)をへて、1900年(明治33年)12月東京市ヶ谷にある陸軍士官学校へ入学した。
柴内は1904年(明治37年)2月から始まる日露戦争に従軍し、翌明治38年の奉天の会戦に参加、その時に両目に銃弾を受け失明する。戦後は軍人恩給を受けて生活していたが、盲目でも何か社会のためにできることはないかと考え、1909年(明治42年)東京盲唖(もうあ)学校教員練習科に入学、明治44年には私費を投じて私立岩手盲唖(もうあ)学校を設立し校長に就任した。当初生徒はわずか6名しかいなかったが、徐々に増えていったため経営が苦しくなる。そのため柴内は除隊兵にシャツなどを卸す事業などをして資金を稼いだ。1925年(大正14年)には県立に移管するが、柴内はそのまま校長を続けている。
柴内は20代で失明する不幸に見舞われたが、そのことを苦にせず、盛岡水道利用組合や盛岡病院(現:県立中央病院)を設立した。彼の教育方針は“自分のことは自分でやれ。不具だからといって決して卑下してはいけない。昂然(こうぜん)として、天を仰いで歩け”であった。

掲載日:平成17年9月10日

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