坂本安孝(さかもとやすたか)

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広報ID1025086  更新日 平成30年12月10日 印刷 

坂本安孝(1856年~1917年)

自由民権運動家・岩手日々新聞社主

坂本安孝(さかもとやすたか)の写真

坂本安孝(幼名:千代吉)は1856年(安政3年)6月12日、盛岡馬場小路(現:盛岡市馬場町)にて盛岡藩士坂本閑眠(かんみん)の長男として生まれた。安孝は極端な負けず嫌いで、たとえ腕力で負けても認めず、最後には相手がまいってしまった。そのため、幼いころは千代吉をもじって“強情(ごうじょう)吉”と呼ばれていた。
田鎖高景が1873年(明治6年)12月に開設した私設図書館「求我社」には、民権思想を持つ青年たちが集まり、次第に県の民権運動の中心となっていった。安孝は鈴木舎定、上田農夫、伊東圭介らとともに参加し、機関紙「盛岡新誌」の編修兼印刷人も務めた。また、安孝の豪快(ごうかい)で磊落(らいらく)な性格は党員の信頼を獲得し、後には中央の自由党幹部大江卓、林有造、後藤象二郎らとも交遊している。
安孝は政治だけではなく経済の分野でも活躍した。1883年(明治16年)1月、第九十銀行取締役に就任した後には、1886年(明治19年)10月には「岩手日々新聞」の経営に参加した。同新聞は1897年(明治30年)4月に「巖手日報」(現在のものとは違う)と名を変えて、戦前の県の新聞界の一翼を担っている。

掲載日:平成18年6月10日

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