里見弴(さとみとん)

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広報ID1025077  更新日 平成30年12月10日 印刷 

里見弴(1888年~1983年)

盛岡ゆかりの文人・文化勲章受章者

里見●(さとみとん)の写真

里見弴(本名:山内英夫)は1888年(明治21年)7月14日、横浜にて薩摩藩士有島武、さちの4男として生まれた。出生の2日前に、母の実家である盛岡の山内家当主山内英郎が亡くなったため、山内姓を名乗る。ちなみに山内家は代々盛岡藩江戸表留守居役を勤めている。
長兄の作家有島武郎、次兄の画家有島生馬(壬生馬)、そして次兄の友人志賀直哉らから影響を受けた弴は、自然と文学書に親しんだ。1910年(明治43年)、志賀や武者小路実篤らとともに文芸雑誌「白樺」を創刊、里見弴のペンネームで作品の発表をする。のちに『実川延童の死』(のち『河豚』に改題)、『善心悪心』、『多情仏心』など多くの作品を著し、“小説の小さん(古典落語の名人)”と称せられた。またその文学を貫く、“自分の心を素直に信じそれに従うという思い”は、“まごころ哲学”と呼ばれ、弴の小説の特徴とされた。1959年(昭和34年)には、その業績により文化勲章を受章している。自分の思いに正直であり続けた弴は、1983年(昭和58年)1月21日に、94歳の生涯を終えている。
野球好きの弴は、1948年(昭和23年)7月11日、友人久米正雄らと後楽園で還暦祝いの試合をした。当時の人気カード「巨人×南海」戦の後に行われたため、2万人の観客がそのまま残っていた。結果は6対6、日没による5回コールドゲームだった。

掲載日:平成18年1月25日
 

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