鈴木貫爾(すずきかんじ)

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広報ID1025079  更新日 平成30年12月10日 印刷 

鈴木貫爾(1919年~1982年)

鋳金(ちゅうきん)家・東京芸術大学教授

鈴木貫爾(すずきかんじ)の写真

鈴木貫爾(本名:信一)は1919年(大正8年)10月14日、盛岡市生姜町(しょうがまち)にて釜師13代目鈴木盛久の長男として生まれた。鈴木家は南部藩時代から続く釜師の家系であり、その祖は江戸時代初期の寛永年間までさかのぼる。
貫爾は盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)を卒業した後、東京美術学校工芸科鋳金(ちゅうきん)部へ入学した。そこで、鋳金(ちゅうきん)界の重鎮香取秀真(かとりほつま)や同郷の鋳金(ちゅうきん)家内藤春治らから指導を受けた。その号である“貫爾”は、恩師香取秀真(かとりほつま)から与えられている。卒業後は、新制により東京芸術大学となった母校の教官として後進の指導にはげんでいる。一方鋳金(ちゅうきん)家として、歴史、文学、宗教、動物などをモチーフに、伝統技術を生かしてそのイメージを造形化、そこに現代的な感覚を加味した多くの作品を残した。貫爾の代表作である「江碧鳥逾白」をはじめ、多くの作品が岩手県立美術館に収蔵されている。
1976年(昭和51年)11月、父である13代鈴木盛久の死去にともない、14代鈴木盛久を襲名した。しかし、5年後の1982年(昭和57年)2月24日、62歳で早すぎる死をむかえた。
貫爾は若いころ卓球が得意だった。盛岡中学校在学中には、岩手県中学生ランキングの一位になったほどである。しかし父の意を汲み、卓球を趣味にとどめて東京美術学校へ進学している。

掲載日:平成18年2月25日

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