島地黙雷(しまじもくらい)
広報ID1025233 更新日 平成30年12月17日 印刷
島地黙雷(1838年~1911年)
仏教学者
島地黙雷(旧姓:清水、幼名:謙致(かねとも))は1838(天保9年)2月15日、周防国(現:山口県)佐波郡にある西本願寺派専照寺住職清水円随の四男として生まれた。1866年(慶応2年)に同郡島地村妙誓寺の住職となり、姓を島地と改めた。
黙雷は学問、識見、人徳ともにすぐれ、大洲鉄然(おおずてつねん)、赤松連城(あかまつれんじょう)とともに西本願寺における維新の三傑と称せられた。1868年(明治元年)、大洲、赤松らとともに本山諸制度の改革を西本願寺に対して建議、改正局を設けて末寺の子弟教育に力を注いだ。また、1872年(明治5年)、本山の派遣で仏教徒としてはじめてヨーロッパ各国を視察し、先進国における宗教事情を学んでいる。仏教は明治維新後、新政府により従来の封建的特権を奪われ、未曾有の危機にさらされていた。これに対して黙雷は仏教復興を目指して奔走、その地位を確立させることに尽力した。
一方、東京麹町に女子文芸学舎(現:千代田女学園)を開設するなど女子教育にも携わり、その活動は宗教だけにとどまらず、社会事業や女子教育など多方面にわたった。
1892年(明治25年)、数え年56歳の時に盛岡市北山の願教寺第25世住職となり、1905年(明治38年)に奥羽開教総監の役名で退隠した。盛岡に着任した黙雷は1908年(明治41年)に夏期仏教講習会を開催するなど仏教の布教に努めた。この講習会はその後も続けられ、今日まで継承されている。1911年(明治44年)2月3日、74歳でこの世を去った。
掲載日:平成22年2月10日
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