志波城の歴史 文献にみえる志波城

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広報ID1009502  更新日 平成28年8月21日 印刷 

志波城関連略年表

飛鳥時代

  • 645年:大化改新
  • 649年:陸奥国建置
  • 701年:大宝律令制定(律令制度始まる)

奈良時代

  • 710年:平城京遷都
  • 724年:多賀城造営(多賀城碑文)
  • 774年:海道蝦夷反乱(38年戦争の始まり)
  • 777年:志波村の賊が出羽国軍と戦う
  • 780年:伊治公呰麻呂の乱(多賀城焼失)
  • 781年:桓武天皇即位
  • 789年:巣伏村の戦い(阿弖流為(アテルイ)と朝廷軍の大規模戦闘)
  • 792年:斯波村の阿奴志己(アヌシコ)が朝廷に帰属を願い出る

平安時代

  • 794年:平安京遷都
  • 797年:坂上田村麻呂が征夷大将軍となる
  • 802年:胆沢城造営、阿弖流為ら降伏
  • 803年:志波城造営
  • 804年:斯波(志波)城と胆沢郡の間に1駅を置く
  • 805年:徳政相論(軍事と造作が停廃)
  • 811年:和我・稗縫・斯波の3郡建置
  • 811年:爾薩体・幣伊の戦い(38年戦争終結)
  • 811年:志波城廃城の建議
  • 812年:徳丹城造営
  • 814年:胆沢・徳丹2城に糒と塩を置く
古代城柵の分布と造営年代の図
古代城柵の分布と造営年代

エミシと志波城

志波城(しわじょう)は、古代東北地方に造営された「城柵(じょうさく)」のひとつです。
古代日本では、大化の改新(645年)を契機として「律令(りつりょう)」という法律を基に、全国を「国・郡・里」という行政単位で朝廷が土地と人々を直接支配し、税を納めさせていました。
しかし、東北北部の人々はそれに従わず、「蝦夷(エミシ)」と呼ばれていました。
そのエミシを統治するために設置された行政施設が「城柵」です。
724年に多賀城(たがじょう:宮城県多賀城市)が造営され陸奥国府(むつこくふ)が置かれると、宮城県北部までが律令支配下に組み込まれました。

志波城の造営と移転

774年の海道蝦夷(かいどうのえみし)の反乱に始まるエミシと朝廷側の武力衝突(38年戦争)は、781年に桓武(かんむ)天皇が即位すると朝廷軍が岩手県南部への軍事行動を開始し、胆沢地方を中心に大きな戦いがありました。
797年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となった坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)は朝廷軍を勝利に導き、802年に胆沢城(いさわじょう:奥州市水沢区)を造営、胆沢エミシの首長、阿弖流為(アテルイ)らは投降しました。
その翌803年には志波城を造営し、北上盆地北部まで律令支配下となりました。
38年戦争が終結する811年の爾薩体(にさたい)・幣伊(へい)のエミシとの戦いは志波城を拠点に行われましたが、同年末には水害を理由に移転が決まり、徳丹城(とくたんじょう:矢巾町)が造営されました。
志波城の存続期間は約10年と短期間でした。

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