志波城の歴史 外郭線と竪穴住居跡

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広報ID1009504  更新日 平成28年8月21日 印刷 

外郭線の構造

外郭(がいかく)の築地塀(ついじべい)は、基底幅が2.4メートルあり、当時屋根までの高さが4.5メートルあったと考えられ、また約6メートル単位でつくられたことがわかっています。
南辺築地塀の中央には、壮大な五間一戸(ごけんいっこ)門である外郭南門(がいかくみなみもん)があり、二層の櫓門(やぐらもん)と考えられます。
五間門は胆沢城(いさわじょう)とともに城柵(じょうさく)最大規模のものです。
また、兵士の見張所である櫓(やぐら)が築地塀をまたいでつくられ、約60メートル間隔でならんでしました。

復元された外郭南辺の写真
復元された外郭南辺
築地塀をつくる様子の図
築地塀をつくる様子(想像図)

城内の竪穴住居群

外郭築地塀から約100メートル内側には、竪穴(たてあな)住居群が帯状に密集し、当時1100棟から2200棟の住居があったと推定され、多くの兵士が駐屯していたと考えられます。
竪穴住居跡は方形から長方形で一辺4メートルから5メートルのものが多く、煮炊きのカマドが壁際につくられ、煙が外に出るようになっています。
城内の兵士の多くは城柵の造営と守衛のため関東・甲信越地方から徴発された鎮兵(ちんぺい)で、「上総」(かずさ:今の千葉県)といった兵士の出身地をうかがわせる墨書(ぼくしょ)の土器があります。
多数の兵士が城内に居住している城柵は他になく、志波城が朝廷の最前線基地として軍事的役割が大きかったことがわかります。

城内の竪穴住居跡の写真
城内の竪穴住居跡

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