志波城の歴史 志波城の立地と構造

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広報ID1009503  更新日 平成28年8月21日 印刷 

位置と地形

盛岡周辺の雫石川流域は、「末期古墳」が集中することからエミシの一大拠点であったと考えられますが、792年に斯波(志波)のエミシ首長、阿奴志己(アヌシコ)が朝廷に帰属を願い出るという記録が残っていることから、早くから朝廷側と通じ、懐柔の地となっていたようです。
志波城跡は、北上川と雫石川の合流点付近に広がる平坦地にあり、南の胆沢方面と西の出羽国(でわのくに)秋田方面へ通じる交通の要衝でした。
志波城跡の北辺は雫石川に近接していたようで水害により削られていますが、城内北部には小河川が入り込んでおり、水運が重視されていたと考えられます。

志波城跡の構造図
志波城跡の構造

規模と構造

志波城跡の外郭(がいかく)は、840メートル四方の築地塀(ついじべい:土を層状につき固めた土塀)と、928メートル四方の土塁をともなう大溝(堀)により二重に区画されています。
城内中央やや南寄りに政庁(せいちょう)があり、150メートル四方を築地塀で囲み、儀式を行う多くの建物が整然とならんでいました。
政庁の周囲には役人が働く官衙(かんが)建物群があり、また外郭沿いには兵舎と考えられる多数の竪穴(たてあな)住居が発見されています。
外郭と政庁の規模は、鎮守府胆沢城(ちんじゅふいさわじょう)を上回り、国府多賀城(こくふたがじょう)に匹敵する大きなもので、陸奥国(むつのくに)最北端の行政府として、またさらに北方のエミシに対する拠点として、志波城の役割が重要であったことを示しています。

城柵規模の比較図
城柵規模の比較

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