志波城の歴史 政庁と官衙

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広報ID1009505  更新日 平成28年8月21日 印刷 

写真1
政庁官衙復元鳥瞰図

政庁の構造

志波城の中枢である政庁(せいちょう)の築地塀(ついじべい)は、基底幅が1.8メートルと推定され、築地各辺中央には門があり、政庁南門は八脚門(はっきゃくもん)です。
北門と東西門は建て替えがあり、それそれ八脚門と四脚門(しきゃくもん)に改築されています。
政庁内部には、高床の正殿(せいでん)と東西脇殿(わきでん)がコ字形に配置され、これら建物に囲まれた広場で、朝貢(ちょうこう)するエミシに位階(いかい)や禄物(ろくぶつ)を与えてもてなす儀式「饗給(きょうごう)」がおこなわれていました。
志波城には国司(こくし)や鎮官(ちんかん)といった都から派遣された官人が城司(じょうし)として常駐し、儀式を行っていました。
政庁内にはこのほか多くの掘立柱(ほったてばしら)建物があり、倉庫や官人の宿舎となっていたと考えられます。

政庁周辺の官衙

政庁内北西建物の写真
政庁内北西建物

政庁のまわりには、役人が実質的な業務を行っていた官衙(かんが)建物群が発見されています。
調査の進んでいる南東官衙では、長方形の広場を囲むように建物が配置され、2時期の変遷があることがわかっています。
このほかの南西官衙と東官衙も、それぞれ役割分担をもって機能していたと考えられます。
役人たちは、城の維持や物資の中継、北上盆地北部の経営計画、北のエミシへの軍事計画をたてる仕事などを行っていたのではないでしょうか。

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