遺跡の学び館キッズコーナー

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広報ID1009455  更新日 令和4年1月28日 印刷 

マスコットキャラクター「みっけ」が、むかしのヒトのくらしをおしえてくれます

マスコットキャラクター

マスコットキャラクター「みっけ」のイラスト

なまえは「みっけ」です!よろしくね

遺跡の学び館のマスコットキャラクターは、平成16年6月の開館の際に作成し、名前を募集したところ、たくさんの応募をいただきました。選考の結果、呼びやすく発見の喜びを表していることなどから「みっけ」に決定しました。

「みっけ」は、いろんな時代のコスチュームを着て、遺跡の学び館のチラシやポスター、ホームページで、お友達といっしょに活躍中です。

むかしむかしのヒトは、どんなくらしをしていたのかな?

はてな1「石器(せっき)はどうやってつくるの?」

みっけのイラスト

みっけ:石器(せっき)は、ヒトがはじめてつくった道具(どうぐ)なんだよ。石と石をぶつけるとわれるけど、そのとがった部品(ぶひん)を木の棒(ぼう)につけると、動物(どうぶつ)をつかまえる槍(やり)になるんだ。盛岡(もりおか)ではおよそ1万3000年前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の槍先(やりさき)がみつかっているよ。そのころは今(いま)よりもさむくて、ヒトは石器(せっき)をつかって大きなナウマンゾウやオオツノジカ・ヘラジカなんかをつかまえてたべていたんだ。
縄文時代(じょうもんじだい)といわれるおよそ6000年前になると、こんどは今よりもあたたかくになって、森(もり)がひろがって小さな動物(どうぶつ)や鳥(とり)がおおくなったんだ。縄文人(じょうもんじん)は石をもっと小さくわって弓矢(ゆみや)のやじりをつくってイノシシなんかをつかまえるたり、わった石をきれいにみがいて刃(は)をつけた斧(おの)をつくって木を切(き)り、住(す)む家(いえ)をつくったりしたんだ。

石器の写真
盛岡で一番古い石器(1万3000年前)
ヘラジカのイラスト
ヘラジカ
縄文時代の弓矢(復元)の写真
縄文時代の弓矢(復元)

はてな2「縄文土器(じょうもんどき)のもようにはどんなものがあるの?」

みっけのイラスト

みっけ:土器(どき)は、粘土(ねんど)でいれものの形(かたち)をつくって、もようをつけ、よくかわかしてから野原(のはら)のたき火で焼(や)いたものなんだ。ヒトは、土器をつくれるようになったことで、たべものを生(なま)や火で焼くだけでなく、お湯(ゆ)で煮(に)て食(た)べたり、たべものや水(みず)をためてとっておくことができるようになったんだ。
盛岡(もりおか)では、およそ8000年前には貝(かい)や木(き)の棒(ぼう)をおしあてたもよう、およそ4500年前には渦巻(うずまき)をつなげたようなもよう、およそ2500年前には木(き)の葉(は)っぱをつなげたような形(かたち)のもようなんかがみつかっているよ。

木の棒を押し当てたもようの土器のかけらの写真
8000年前の土器のもよう
渦巻きもようの土器の写真
4500年前の土器のもよう
葉っぱをつなげたようなもようの土器の写真
2500年前の土器のもよう

はてな3「勾玉(まがたま)はなににつかったの?」

みっけのイラスト

みっけ:勾玉(まがたま)は、いまでも宝石(ほうせき)として大事(だいじ)にされる、ヒスイやメノウといったとてもかたくてきれいな石(いし)をみがいてつくった、アクセサリーなんだ。むかしのえらい人(ひと)がネックレスのようにしてつかったと考えられているよ。
盛岡(もりおか)では、1300年前の大きなお墓(はか)「古墳」(こふん)の中から青(あお)いガラス玉(たま)といっしょにたくさんの勾玉(まがたま)がみつかっているんだ。

勾玉の写真
勾玉(まがたま)
勾玉のみつかったようすの写真
勾玉のみつかったようす
復元された首かざりの写真
首かざり(復元)

はてな4「盛岡(もりおか)にあるのに、なぜ志波城(しわじょう)というなまえなの?」

みっけのイラスト

みっけ:今の「盛岡」(もりおか)という地名(ちめい)は、およそ400年前の江戸時代(えどじだい)からのもので、それよりむかしの1300年前、奈良時代(ならじだい)にはじめて文字(もじ)の記録(きろく)として残(のこ)っているのは、「志波(斯波)」(しわ)なんだ。「志波城」(しわじょう)はその「志波」(しわ)の地(ち)につくられた特別(とくべつ)な役所(やくしょ)というわけ。ちなみに、この場所(ばしょ)に志波城(しわじょう)をつくらせたのは、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)というとても強(つよ)くて頭(あたま)のいい将軍(しょうぐん)だったんだよ。

復元された志波城の写真
復元された志波城
復元された役人の姿の写真
役人(やくにん)の姿
政庁からみつかった土器の写真
政庁(せいちょう)の土器

はてな5「盛岡(もりおか)には、どんなお殿様(とのさま)がいたの?」

みっけのイラスト

みっけ:およそ400年前からはじまる江戸時代(えどじだい)、盛岡(もりおか)には「南部」(なんぶ)というお殿様(とのさま)がいて、北は今の青森県(あおもりけん)下北半島(しもきたはんとう)から南は北上市(きたかみし)あたりまでを領地(りょうち)としていたんだ。今のまちの中心(ちゅうしん)、内丸地区(うちまるちく)の大きな石垣(いしがき)や堀(ほり)のある公園(こうえん)は、そのお殿様(とのさま)がくらしていた「盛岡城」(もりおかじょう)というお城(しろ)なんだよ。江戸時代(えどじだい)には赤(あか)い瓦屋根(かわらやね)の「天守櫓」(てんしゅやぐら)や、大きな御殿(ごてん)があったことがわかっていて、とてもきれいだったんだ。お城(しろ)の中(なか)には、そのときの蔵(くら)が1つ残(のこ)っているから、春(はる)の桜(さくら)や秋(あき)の紅葉(こうよう)をみにいったときに探(さが)してみよう。

盛岡城の石垣の写真
大きな石垣(いしがき)
本丸で見つかった赤瓦の写真
本丸の赤瓦(あかがわら)
お城の中の蔵の写真
彦御蔵(ひこおくら)

盛岡のお殿様(南部重直)の絵
第3代盛岡藩主南部重直(なんぶしげなお)像〔もりおか歴史文化館所蔵〕

さいごまでみてくれてありがとう。むかしのことを自分で見たり体験(たいけん)したくなったら、お父さんやお母さんといっしょにきてみてね。

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