高松公園

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広報ID1010492  更新日 令和3年1月26日 印刷 

概要

高松公園の写真

  • 所在地:盛岡市高松一丁目26-1
  • 計画決定年月日:1957年(昭和32年)9月19日
  • 計画決定面積:54.1ヘクタール
  • 開設年月日:1956年(昭和31年)10月15日
  • 開設面積:45.62ヘクタール

あらまし

上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。
当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。
この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。
上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名であったことにちなんで「高松の池」と名付けられたと伝えられています  池の周辺には、数100本のサクラが植えられて、サクラの名所とされてきましたが、1949年(昭和24年)頃から本格的に公園整備が進められ、ボタン園・アヤメ園・バラ園などが整備され、自然豊かな風致公園として市民に親しまれています。
1989年(平成元年)に「日本さくらの名所100選」に選ばれています。

高松公園のあゆみ

高松公園のあゆみ
年号 西暦 できごと
慶長2年 1597年 南部26代信直公 盛岡城築城開始。
寛文年間 1661年~1673年 沼沢より溢れ出る水をせき止めるため、上田堤を築堤。
上堤・中堤・下堤の三段を設け、治水に利用した。
明治25年 1892年 故大森氏が上田堤の開発を計画し、松・ツツジ・ウメなどを植えた。
水辺には屋形船を浮かべ、開発の端緒をつくる。
明治39年 1906年 4月の日露戦争の勝利を記念して地元有志が中心となりサクラの記念植樹を行う。
吉野桜1000本の苗木を池周囲に植樹。
大正11年 1922年 公園整備計画の策定と整備。(2年をかけて四阿、園路などを整備)
昭和3年 1928年 岩手郡米内村との合併により高松の池が盛岡市の管理となる。
昭和23年 1948年 高松振興促進会の設立。(公園整備のための寄附募集活動を開始)
昭和24年 1949年 4月に高松振興促進会が公園整備費30万円とサクラ苗木650本を寄附。
5月1日、市立公園として指定。
昭和27年 1952年 池を中心とした風致を守るため、高松風致地区を指定。
昭和30年 1955年 芝水園(釣堀)の開設。
昭和32年 1957年 都市計画法による都市公園として計画決定(公園面積44.3ヘクタール)。
昭和33年 1958年 第13回冬季国体(スケート)、第7回全国高校スケート大会を開催し、会場として利用。
昭和41年 1966年 大規模老朽溜池事業により堤体の全面改修を実施。
昭和53年頃 1978年頃 池の氷が薄くなり、氷上スポーツの利用が不可能となる。
昭和55年~56年 1980年 岩手大学に委託し、高松池環境調査を実施。
昭和59年 1984年 白鳥の餌付けを開始。
平成元年頃 1989年頃 白鳥の餌付け時の安全確保のため、冬季の水位調節を開始。
平成6年 1994年 シベリア抑留平和記念像建立。
平成7年 1995年 平和記念像「望み」(増山俊春作)建立。
平成10年~11年 1998年 堤体沈下、亀裂の発生により、高松公園堰堤調査を実施。
平成12年 2000年 高松公園と親しむ会結成。(ニセアカシアの伐採、炭焼き、水質浄化などの活動)
平成17年 2005年 冬季の水位調節を中止し、堤体の変動観測を再開。

参考文献:高松公園のあゆみ(上田茶屋自治会)

園内スポット

多くの白鳥の飛来地として有名。1984年(昭和59年)からの餌付けにより、多くの白鳥が飛来し始め、現在では1月のピーク時で600羽を超える白鳥が飛来するようになり、5月頃まで越冬します。
冬季の湖面では、戦前からスケートも行われており、1958年(昭和33年)には第13回冬季国体、第7回全国高校スケート大会の会場ともなりましたが、1978年(昭和53年)頃から氷が薄くなり、現在は氷上の利用が禁止されています。

高松の池の写真

日露戦争の勝利を記念して、1906年(明治39年)に記念栽桜会によりサクラの記念植樹が行われ、それ以来サクラの名所として知られてきました。
現在池周辺には約800本数種類の桜が植えられており、1989年(平成元年)には「日本のさくらの名所100選」(財団法人日本さくらの会)に選ばれました。
これは県内では、北上市の展勝地と2カ所のみです。

バラ園

バラ園には、現在40種以上のバラが植えられています。
6月中旬頃には見頃となります。

ボタン園

橋のたもとにあるボタン園には200本を超えるボタンやシャクヤクが植えられています。
毎年5月中旬から5月末にかけてが見頃となります。

彫刻

シベリア抑留平和祈念慰霊碑、シベリア抑留平和記念像「ひまわり」

祖国の犠牲となった尊い御霊を鎮め、世界の恒久的平和を祈念して建立した記念碑。
「ひまわり」はこの碑の建立に併せて、1994年(平成6年)10月12日、シベリア抑留経験をもつ佐藤忠良氏が制作し、財団法人全国強制抑留者協会岩手県慰霊碑建立委員会が設置したものです。
第二次世界大戦終結に際し、ソビエト連邦はポツダム宣言に違反し、満州、樺太等から日本軍人などを強制連行して重労働を課しました。
岩手県からは約8000人が連行され、1200人を超える同胞が過酷な労働と飢餓、酷寒によって死亡しました。
この犠牲者のほとんどは、未だ異国の凍土の中に墓標のないまま眠っています。

平和記念像「望み」

戦後50年を記念し、「核兵器のない世界をめざし、不戦を誓う平和記念像」として、県の生協・青年・婦人・原爆被害者の市民団体の提唱に賛同した2万人を超える岩手県民の募金を集め、増山俊春が制作(舟越保武が監修)し、1995年(平成7年)9月5日に平和記念像建立推進委員会が建立したものです。

散策路

高松・四十四田コース

高松公園から、三ツ割の丘陵、鉢の皮を経て小鹿公園さらに四十四田公園までの約5.5キロメートル、1時間程度のコースです。
サクラの名所高松の池、三ツ割地区の果樹園、湖面に岩手山の姿を映す四十四田ダム湖の雄大な眺めなどを楽しむことが出来ます。

北山散策路

愛宕山から北山、そして高松を結ぶ約4キロメートル、1時間のコース。
コナラを中心とした広葉樹の林や果樹園など明るくのどかな散策路周辺には、季節の植物や野鳥などの観察に適し、岩手山や駒ヶ岳、姫神山の眺望にも恵まれています。
また、立原道造や武島繁太郎など盛岡ゆかりの人達の文学碑や記念碑があり、郷土の歴史に理解を深めることが出来ます。

施設案内

芝水園(しすいえん)

上田堤の上堤を利用した、フナ(ヘラブナ)やコイを放流する釣り堀でしたが、管理上の都合により令和2年3月31日から閉園しています。

周辺スポット

桜霊閣

高松の池開発に貢献した物故者の功徳と桜の霊を一緒に顕彰する地蔵尊が奉られています。
「御幣ラ神」は、北上川畔の樹齢千年あまりの柳樹でつくられました。

高松神社

高松神社はもともと庚申さまと呼ばれていました。
境内には二つの庚申塔が建ちます。
庚申供養のために建てたもので、江戸時代の庶民の信仰生活を示しています。
前途に迷いがあるときに信仰すると救いの手を延べてくれる導きの神様で、6月17日が例大祭です。

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