景観重要建造物 南昌荘
広報ID1009402 更新日 令和5年4月13日 印刷
荒川鉱山(秋田県)の経営者、瀬川安五郎が、1884年の盛岡河南大火で餌差小路(現肴町)の自宅を焼失、翌1885年ごろ、上衆小路(清水町)に自宅として新築したのが後の南昌荘である。当初の姿は1894年「盛岡市実地明細図」の「盛岡市、上衆小路、瀬川安五郎邸、裏西景」で分かり、現在の建物は金田一勝定時代に増改築されて大きく変わっている。比べてみると、庭園を見下ろす高床の棟以外は大きく形を変え、東西端に座敷を持つ配置にし、特に現在の玄関がつく棟が2階茅葺きから瓦葺き平屋に、また、玄関の右側の蔵のところは3間続きの座敷に増改築されている。
1907年に第五代盛岡市長に就任した大矢馬太郎は、同年、瀬川安五郎から南昌荘を取得した。大矢家では、これを別荘として使用し、1908年原敬夫妻が1カ月滞在、翌年は伊藤博文が韓国皇太子李垠殿下とともに盛岡を来訪し、南昌荘では歓迎の園遊会を開催している。
1910年盛岡銀行(岩手銀行の前身)の実質経営者だった金田一勝定が邸宅を入手し、金田一は、2階大広間に隣接して、3間増築するなど大幅に手を加えた。この南昌荘と2002年まで残っていた中央通の別邸とは外観、内装ともよく似ており、簓子下見板に漆喰壁、釉薬赤瓦の屋根、内部はオーソドックスな書院風の和室、庭に開放的な縁側がまわり、ガラス戸が入り、当時の完成された盛岡の近代和風スタイルを守り、堅実なつくりである。現在、玄関棟の東側が寸詰り状に切れているが、この切断面の形状からこの先は寄せ棟で、かつ中庭越の本庭側座敷棟と通じる廊下、家事室などの部屋があったことを想像できる。
その後金田一家から盛岡・穀町の呉服卸商(現赤澤繊商)赤澤多兵衛が所有し、1987年からは、いわて生活協同組合の所有となっている。
概要
名称
南昌荘
所有者
いわて生活協同組合
所在地
盛岡市清水町13番46号
構造形式
木造2階建瓦葺
建築年代
1885年、改築:1910年以降
面積延長
723.96平方メートル
用途
住居
建築依頼主
瀬川安五郎、改築:金田一勝定
外観材質
簓子下見板張、漆喰塗
設計者
不詳
施工者
不詳
事業費
不詳
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