景観重要建造物 南昌荘

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広報ID1009402  更新日 令和3年3月12日 印刷 

南昌荘の外観写真
南昌荘

荒川鉱山(秋田県)の経営者,瀬川安五郎が,1884年の盛岡河南大火で餌差小路(現肴町)の自宅を焼失,翌1885年ごろ,上衆小路(清水町)に自宅として新築したのが後の南昌荘である。当初の姿は1894年「盛岡市実地明細図」の「盛岡市,上衆小路,瀬川安五郎邸,裏西景」で分かり,現在の建物は金田一勝定時代に増改築されて大きく変わっている。比べてみると,庭園を見下ろす高床の棟以外は大きく形を変え,東西端に座敷を持つ配置にし,特に現在の玄関がつく棟が2階茅葺きから瓦葺き平屋に,また,玄関の右側の蔵のところは3間続きの座敷に増改築されている。
1907年に第五代盛岡市長に就任した大矢馬太郎は,同年,瀬川安五郎から南昌荘を取得した。大矢家では,これを別荘として使用し,1908年原敬夫妻が1カ月滞在,翌年は伊藤博文が韓国皇太子李垠殿下とともに盛岡を来訪し,南昌荘では歓迎の園遊会を開催している。
1910年盛岡銀行(岩手銀行の前身)の実質経営者だった金田一勝定が邸宅を入手し,金田一は,2階大広間に隣接して,3間増築するなど大幅に手を加えた。この南昌荘と2002年まで残っていた中央通の別邸とは外観,内装ともよく似ており,簓子下見板に漆喰壁,釉薬赤瓦の屋根,内部はオーソドックスな書院風の和室,庭に開放的な縁側がまわり,ガラス戸が入り,当時の完成された盛岡の近代和風スタイルを守り,堅実なつくりである。現在,玄関棟の東側が寸詰り状に切れているが,この切断面の形状からこの先は寄せ棟で,かつ中庭越の本庭側座敷棟と通じる廊下,家事室などの部屋があったことを想像できる。
その後金田一家から盛岡・穀町の呉服卸商(現赤澤繊商)赤澤多兵衛が所有し,1987年からは,いわて生活協同組合の所有となっている。

概要

名称

南昌荘

所有者

いわて生活協同組合

所在地

盛岡市清水町13番46号

構造形式

木造2階建瓦葺

建築年代

1885年,改築:1910年以降

面積延長

723.96平方メートル

用途

住居

建築依頼主

瀬川安五郎,改築:金田一勝定

外観材質

簓子下見板張,漆喰塗

設計者

不詳

施工者

不詳

事業費

不詳

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