景観重要建造物/歴史的風致形成建造物 盛岡ふれあい覆馬場プラザ
広報ID1034383 更新日 令和5年3月16日 印刷
歷史的背景
第一次世界大戦開戦を間近に軍事増強が叫ばれる中、岩手県や盛岡市の陳情に応じて、明治41年弘前から旧帝国陸軍工兵第八大隊が盛岡市近郊の観武ヶ原に移転してきた。更に、日露戦争後の国情から騎兵旅団の設置も決まり、翌明治42年7月には騎兵第23連隊と騎兵第24連隊からなる騎兵第3旅団が創設され、工兵第八大隊に隣接して兵営が設けられた。
太平洋戦争終結後、海外からの大量の帰国者(引揚者)が移入して来たため、その一時的居住場所として、青山地区に残っていた兵舎や「覆馬場」は改修し引揚者寮として使用された。その後、青山地区には公営住宅や一般住宅等も建設され、公共施設の整備も進み盛岡市のベッドタウンとして町が形成された。そして、国の経済発展と共に青山地区の引揚者寮も徐々に解体・撤去され、戦後の面影が殆どなくなり、残った「覆馬場」は民間企業の工場や倉庫として利用されたが、「覆馬場」を利用して来た企業も撤退し、青山地区に6棟あった「覆馬場」も1棟を残し解体され、残った1棟(現「覆馬場プラザ」)も廃屋同様の建物となっていた。
保存と整備
その1棟を青山地区の「歴史的遺産」として保存するため、青山地区の有志を中心に盛岡市等へ粘り強い働きかけが行われ、保存活用が決定した。その後「レンガ造」の「覆馬場」の修復改修工事が平成23年度から行われ、平成24年6月1日、明治42年の建設当時の姿で復元され、青山地区のシンボルとして「ふれあい覆い馬場プラザ」が開館した。盛岡市における近代化遺産として貴重な建物である。
概要
名称
盛岡ふれあい覆馬場プラザ
所有者
盛岡市
所在地
盛岡市青山二丁目6-8
構造形式
煉瓦造、鉄骨小屋組切妻平屋の建物で、両側の妻手に出入り口があり、雨天馬場の用途から内部は柱のない大空間となっている。主体構造の煉瓦壁は、2枚積みの頑丈な壁厚を持ったイギリス積みで、短辺となる妻手側の柱間は7つで、その内出入り口のある中央部は他より広い柱間となっている。柱となる部分は煉瓦4~5枚の厚壁となり、外側に三段の控え壁を煉瓦で積んで補強している。長辺の平手側の壁の柱間は18で、柱の形状は妻手側と同じである。平手側のそれぞれの柱の上端部には小屋組のトラスが乗っている。小屋組は圧延L型鋼でフィンクトラス (Fink truss) を組み煉瓦壁に乗せている。小屋組の横振れは鉄筋のブレースをターンバックルで締めて止めている。この鉄骨小屋組は当初からのものか、終戦前までに改修されたか不明であるが、盛岡に現存する同時期の煉瓦建物物に比べ、竣工時の明治40年代には可能な技術である。 現在の屋根の鋼板は当然最近の葺替えであるが、下地の野地板は小屋組と同じ時期のものと思われる。窓は各柱間に一つずつ付いており、上部が浅い円弧の開口部に木製の上げ下げ窓の建具が入っていたと考えられる。出入り口も木製の大扉であったと想像されるが、その上部には小屋組の高さ一杯までの明かり取り用窓が現存している。(修復改修工事前の調査記録による)
建築年代
1909年(明治42年)
面積延長
1,186.77平方メートル(建設当時)(現在のアリーナ棟)
用途
旧陸軍雨天馬場(現在はスポーツ複合施設)
建築依頼主
国
外観材質
レンガ壁
設計者
不詳
施工者
不詳
事業費
不詳
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