所蔵品ギャラリー2(弥生・古墳時代、古代)

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広報ID1009446  更新日 平成28年8月21日 印刷 

遺跡の学び館で所蔵している指定文化財や代表的な出土品を紹介(弥生・古墳時代、古代編)

マスコットキャラクター「みっけ」のイラスト

遺跡の学び館で所蔵している指定文化財や、代表的な出土品を時代ごとに紹介します。

展示替えや貸出しのため、紹介するすべての資料を展示室で見ることができない場合がありますので、ご了承ください。

弥生・古墳時代(やよい・こふんじだい)

壺形(つぼがた)土器

繋遺跡出土壺型土器の写真

遺跡:繋(つなぎ)遺跡(繋)
年代:弥生時代中期(約2000年前)

1983年に市道改良工事に伴う発掘調査で、甕形土器2点とともに1つの穴に埋設された状態で発見されました。口縁(こうえん)部分は失われていますが、胴部上半に鋭い工具で鋸歯状(きょしじょう)の文様が描かれています。この時代、東北地方では一度遺体を埋葬したのち、遺骨のみを取り出して壺や甕に入れ、埋葬しなおす「再葬墓(さいそうぼ)」の風習がみられ、この壺形土器と甕形土器もそのように使われたものと考えられます。

ガラス小玉・管玉(くだたま)

薬師社脇遺跡遺跡出土玉類の写真

遺跡:薬師社脇(やくししゃわき)遺跡(浅岸)
年代:古墳時代中期〔約1500年前〕

これらは、土坑墓(どこうぼ=墓穴)から東北南部の古墳(こふん)文化の土師器(はじき)や鉄製品とともに出土した副葬品です。当時の盛岡周辺は、北海道を中心とした続縄文(ぞくじょうもん)文化と南の古墳文化の接点となっていたようで、これらが出土した土坑墓は、その中の袋状の掘り込みに土器を納めるという、続縄文文化に特徴的なものでした。この遺跡に近い永福寺山(えいふくじやま)遺跡からは、同じような墓穴から北海道系の続縄文土器が出土しています。

古代(こだい)

鉄製衝角付冑(しょうかくつきかぶと)

上田蝦夷森古墳群出土冑の写真

岩手県指定有形文化財

遺跡:上田蝦夷森(うえだえぞもり)古墳群1号墳(黒石野)
年代:飛鳥(あすか)時代〔7世紀〕

蝦夷(エミシ)と呼ばれた北東北の人々の首長の墓「末期古墳(まっきこふん)」の主体部(しゅたいぶ=遺体を納める部分)から、副葬品として土師器(はじき)甕・刀子(とうす=小刀)、錫(すず)製の耳輪などとともに出土しました。首を保護する錣(しころ)は失われています。古代の鉄冑としては国内最北の出土例で、東北地方で現存する唯一のものです。

勾玉(まがたま)

太田蝦夷森古墳群出土勾玉の写真

遺跡:太田蝦夷森(おおたえぞもり)古墳群2号墳(上太田)
年代:奈良(なら)時代(8世紀)

1970年に岩手県教育委員会が調査した際に、積石(つみいし)の主体部(しゅたいぶ)から出土したものです。メノウ製がほとんどですが、ヒスイ製も1点あります。この他の副葬品としては、青色のガラス小玉や「和同開珎(わどうかいちん)」、金メッキされた帯金具など多種多様なものがあり、地元で強い力を持つをエミシの被葬者と、中央政権であった都の朝廷側とのつながりを知ることができる貴重な資料です。
 

土師器(はじき)

台太郎遺跡出土土師器の写真

遺跡:台太郎(だいたろう)遺跡(向中野)
年代:奈良(なら)時代(8世紀)

盛南開発地域内から発見された古代の大集落から出土した土器です。朝廷(ちょうてい)の直接支配が及ばなかった8世紀は、土器づくりにまだロクロが使われず、「坏(つき)」という盛り付け皿の底が丸いのが特徴です。また、胴部がふくらむ「球胴甕(きゅうどうがめ)」が出土することも多く、中には赤く文様をつけたものが発見されていて、エミシの風習を示すものと考えられています。
 

須恵器(すえき)

志波城跡出土須恵器の写真

遺跡:志波城(しわじょう)跡(下太田ほか、国指定史跡)
年代:平安(へいあん)時代(9世紀)

都の朝廷(ちょうてい)が役所として造営した志波城の中には、役人の勤める官衙(かんが)と呼ばれる大きな建物が建ち並んでいました。出土する土器は、ロクロを使って薄手につくり、高温の窯で大量に焼いた須恵器(すえき)が多く、蓋付きのものや水差し、硯(すずり)といった役所特有のものが出土しています。
 

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