盛岡の歴史と遺跡3(縄文時代2)

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広報ID1009458  更新日 令和3年12月13日 印刷 

遺跡の発掘調査からわかる盛岡の歴史を紹介(縄文時代編2)

縄文時代(約1万2000年~2300年前)2

縄文土器のうつりかわり

縄文時代中期〔約5000~4000年前〕には、美しい造形の土器が大量に作られるようになり、その形も深鉢形・キャリパー形、樽形、浅鉢形、吊手付など、種類が豊富となります。盛岡では「大木式(だいぎしき)」と呼ばれる独特の美しい渦巻き文様が特徴的です。
縄文時代晩期〔約3000~2300年前〕になると、「大洞式(おおぼらしき)」と呼ばれる土器が東北全域でつくられ、遠く関西地方にまで影響を及ぼすようになります。精緻な文様をていねいにレリーフ状にしたり、漆や朱・ベンガラなどで赤彩するものもあります。これらは日常の煮炊きではなく、まつりやまじないの時に用いられたと考えられています。太田地区猪去の上平(うわだいら)遺跡や玉山区川又地区の宇登1(うど1)遺跡、玉山区渋民地区の田の沢D(たのさわディー)遺跡からは、さまざまな器種の美しい土器が多数出土しています。

深鉢形土器の写真
深鉢形土器(繋遺跡)
キャリパー形土器の写真
キャリパー形土器(大館町遺跡)
樽形土器の写真
樽形土器(大館町遺跡)
香炉形土器・注口土器の写真
香炉形土器(左)・注口土器(右)(田の沢D遺跡)

道具・装い・祈り

縄文時代になると、狩りの道具として弓矢(ゆみや)が使われるようになり、その矢じりとして石鏃(せきぞく)がつくられました。また、木を切るための石斧(せきふ)、獲物を解体するための石匙(いしさじ)、木の実をつぶすための石皿と磨り石など、生活に必要な石器を道具としました。
一方で、アクセサリーとしてきれいな石や素焼きの耳飾り、ヒスイ製のペンダントなども出土します。
そして、まつりやまじないに使われたと考えられる土偶(どぐう)も、縄文時代中期から板状のものがつくられるようになります。後期には、繋地区の蒔内(しだない)遺跡でダム建設に伴う岩手県教育委員会の発掘調査の際、人間大の大型土偶の頭部が出土しています。さらに晩期になると土偶が多くなり、都南地区の手代森(てしろもり)遺跡では、岩手県埋蔵文化財センターの発掘調査で大型の遮光器土偶(しゃこうきどぐう)がほぼ完形で出土し、国指定重要文化財となっています。土偶は、その形態から女性を表現していると考えられ、また壊された状態で出土することが多く、縄文人の風習や信仰をうかがうことのできる貴重な資料です。また、玉山区川又地区の宇登1(うど1)遺跡からは土面(どめん)も出土しています。

縄文中期の土偶の写真
土偶(大館町遺跡)
縄文中期の耳飾の写真
耳飾(大館町遺跡)
縄文中期のヒスイ垂飾品の写真
ヒスイ垂飾品(川目C遺跡)
縄文晩期の石器の写真
石器(宇登1遺跡)
縄文晩期の土面の写真
土面(宇登1遺跡)
遮光器土偶の写真
遮光器土偶(手代森遺跡)

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