第14回:五味清吉(ごみせいきち)

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広報ID1009541  更新日 平成30年12月10日 印刷 

五味清吉(1886年~1954年)

岩手美術界の指導者

五味清吉(ごみせいきち)の写真

五味清吉は1886年(明治19年)1月1日、盛岡四ツ家(現:本町通)にて小原藤吉、タキの三男として生まれた。五味姓を名乗るのは、次姉が嫁いだ前沢町の五味鼎三(ごみていぞう)の養子となった1910年(明治43年)ころからである。
1906年(明治39年)、盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)を卒業した五味は上京、岡田三郎助(おかださぶろうのすけ)から西洋画を学ぶ。1908年(明治41年)には東京美術学校西洋画科(現:東京芸術大学美術部絵画科)に入学、在学中から文部省美術展覧会(文展)に出品し、3年生の時に「煙」という作品で初入選を果たし、以後も多くの作品を発表した。
戦前の五味は東京を中心に活動したが、故郷岩手の美術団体とも関わり続けた。1910年(明治43年)に結成された北虹会(ほっこうかい)をはじめ、清水七太郎らが結成した七光社(しちこうしゃ)や、東京にいる岩手県出身の画家を中心に結成された北斗会などに出品している。彼の誠実な人柄は後進から敬愛され、五味自身も彼らの指導に努め、亡くなるまで一貫して岩手美術界の中心的な存在だった。
1921年(大正10年)、五味は七光社(しちこうしゃ)の展覧会に「裸婦」という作品を出品する。この作品は風紀を乱すということで、警察より撤去を命じられている。これは展示会場から作品が撤去されたという本県最初の記録となっている。

掲載日:平成17年4月25日

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