第49回:野村胡堂(のむらこどう)

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広報ID1009576  更新日 平成30年12月10日 印刷 

野村胡堂(1882年~1963年)

盛岡ゆかりの作家・音楽評論家

野村胡堂(のむらこどう)の写真

野村胡堂(本名:長一(おさかず))は1882年(明治15年)10月15日、紫波郡彦部村大字大巻(現:紫波町大巻)にて彦部村や長岡村の村長を務めた野村長四郎、マサの次男として生まれた。彦部尋常小学校、紫波高等小学校へ通った胡堂は、父の蔵書にあった『三国志』や『水滸伝』をこのころに読み漁った。
1896年(明治29年)、盛岡尋常中学校(現:盛岡第一高等学校)へ入学した胡堂は、友人たちと俳句結社「杜陵吟社」を結成し、大いに俳句に熱を上げた。父長四郎はそんな胡堂の文学熱が気に入らず、医学部へ進学させようとするが、胡堂は反発、結果としてどちらの希望でもない東京帝国大学法科大学へ進学した。父の死後、同大学を退学した胡堂は友人の勧めで報知新聞社へ入社、以後30年以上に渡って社会部長や学芸部長を歴任した。また、1931年(昭和6年)からは文芸春秋社の「オール読物に『銭形平次捕物控』を連載、好評を博して1957年(昭和32年)までに383編を書き上げた。その他にも時代物の『池田大助捕物日記』や空想科学小説『二万年前』などの著作を残している。また「あらえびす」のペンネームを持つ音楽評論家としても知られている。
胡堂の書いた銭形平次には「しくじり平次」という異名がある。これは“偽善者と不義を罰し、善意の下手人は逃がしてやる。”と胡堂が書いているとおり、約半数の犯人を知ってて見逃したためであった。

掲載日:平成18年10月13日

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