第27回:原敬(はらたかし)

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広報ID1009554  更新日 平成30年12月10日 印刷 

原敬(1856年~1921年)

平民宰相

原敬(はらたかし)の写真

原敬は1856年(安政3年)2月9日、岩手郡本宮村(現:盛岡市本宮)にて盛岡藩士原直治、律の次男として生まれた。原の祖父原直記は南部利用(としとも)、利済(としただ)、利剛(としひさ)の3代の藩主に仕えた能吏であり、藩内の新田開発と用水事業に事績を残した。またその役柄上、書類の整理もうまく、原もまた書類の整理がうまかったと伝えられている。
1906年(明治39年)1月、第1次西園寺内閣で内務大臣(のち逓信(ていしん)大臣を兼務)となるまで原は郵便報知新聞記者、天津領事、農商務省大臣秘書官、外務省通商局局長、大阪毎日新聞社社長など多くの職を務める。特に農商務省時代には“カミソリ陸奥”の異名を持つ陸奥宗光の知遇を得た。のち1918年(大正7年)9月29日に第19代内閣総理大臣となるまで、第2次西園寺内閣における内務大臣兼鉄道院総裁、第1次山本内閣における内務大臣を歴任した。
原は平民宰相と呼ばれ、近代日本における政治家の中でもその評価は高い。これは明治初期より続いた薩摩(鹿児島)、長州(山口)等の出身者における政治の独占、いわゆる藩閥政治に対して政党政治で対抗し、第3代政友会総裁として政党内閣を組閣したことが理由として大きい。
しかし、1921年(大正10年)11月4日東京駅構内で、原の政治姿勢に反対する19歳の青年に刺殺される。原は京都に向かう途中だった。

掲載日:平成17年11月10日

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