第29回:月舘八百八(つきだてやおはち)

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広報ID1009556  更新日 平成30年12月10日 印刷 

月舘八百八(1801年~1887年)

金工の名人

月舘八百八(本名:知至)は1801年(享和(きょうわ)元年)12月10日、盛岡八日町(現:盛岡市本町通)にて月舘寛助の3男として生まれた。幼名は亀松、幼くして盛岡藩御金具師若山善蔵の養子となり彫金の手ほどきを受けた。1828年(文政11年)4月には、同じく盛岡藩御金具師関川家の養子となり、関川伴蔵と名乗っている。
1837年(天保8年)ごろから彫工姓を関川より月舘に改め、名も知道とする。この知道を名乗った、1839年(天保10年)から1852年(嘉永5年)にかけてが、八百八にとって精神的に充実した時期だと言われており、岩手県指定文化財となっている「雲峰図鍔(つば)」などを制作している。
幕末騒乱期、盛岡藩は時代の波に翻弄され、八百八ら金具師の仕事である刀装小道具の需要はほとんどなかった。そのため彼らの多くは簪(かんざし)や煙管(きせる)、根付(ねつけ)などを作って糊口(ここう)をしのいだ。八百八晩年の作品として、“八十三歳知至”と記された煙草入れが残されている。
また、維新後盛岡藩は明治政府へ賠償金70万両を払うことを約束し、盛岡への配置換えを許された。しかしその捻出のために、藩士たちが所有していた刀剣や古美術品の多くが他国に流出したと言われている。八百八の作品も散逸し、現在では地元でもあまり見られなくなっている。

掲載日:平成17年12月10日

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